さすがに連日考え事をしつづけたので、ちょっと頭がグダグダになってきました。
体重も2キロちょい減って、ちょっとしたダイエットですね。
気分転換に視点を変えて、森高千里『わたしがおおかみになっても』!

まず、今のところ、完全におおかみになるとはどういうことなのかわかりませんので、雨のように、完全におおかみになっちゃうつもりは、とりあえずありません。でも、人でいるよりおおかみでいる方がだんぜん楽しい!というなら、おおかみになっちゃってもいいとは思います。やっぱりおおかみで暮らすとおおかみの寿命になっちゃうんですかねえ?でも、おおかみおとこ(享年27くらい?)も、あれでけっこう老衰だったのかもしれないし、そうだとすると雪ちゃんもどうなの?って心配ですね。

おおかみになると意識はどうなるんでしょうね?おおかみになるといっても、人間形態、耳と鼻と爪だけおおかみ形態、アニメっぽい顔したおおかみ形態、わりとちゃんとしたおおかみ形態と、4段階くらいありそうですが、意識の状態は同じなんですかね?
同じなんだったら、人間でいた方がいいかなという気はします。おそらく、今の意識は人間の体の中にいる場合に最適化されていると思うので。

で、雪が草平に見せたくらいのおおかみだったら、コスプレとほとんど変わらないので、かなりどうでもいい話かなと思います。images自分で形態をコントロールできるんだったら、何の問題もないと思うし、隠したきゃ隠せばいいけど、ばれたからってかなりどうでもいいです。実際のところあれくらいなら、「あの子たまに変顔するよねー」ってくらいじゃないかと。あと、チカンされた時とか、爪出して引っ掻けたらサイコ―ですね。と思う。でも、アニメだからかわいく描いてるだけで、実物はかなりグロイとかだと、隠したくなる気持ちもわかりますね。

あと、こういう変身ものだと、ずっとおおかみ形態でいると、だんだん意識もおおかみになっちゃうっていう話がおおいんですが、そういうことになってるのかもしれないですね。
とりあえず今のところ、人間でいることに特に不満はないので、自分のアイデンティティは、人間(なろうと思えばおおかみにもなれる)でいいかと思います。

さて、そうすると、おおかみおとこ・雪と同じ生き方になるわけですが、わたしがわからないのは、おおかみだってことがばれちゃいけないっていう強迫観念ですね。だって、実際おおかみなんだから、ばれちゃいけないって思うのは、ありえないと思います。というわけで、ここでは、おおかみであることを本質的なことだということにして話をしてみます。

もしおおかみこどもの親だったら

「おおかみこども」だってばれちゃいけないなら、子育ての映画じゃなくて、本性を隠さなきゃいけない子をどうやって育てるかについての映画だってことですよね。
ですが、もしわたしが親だとしたら、自分の子の「本性がばれちゃいけない」なんてシチュエーションを認めるつもりはありません。誰かが「隠すべきだ」って言ったら、それはお前が間違ってるって言って、やっつけてやります。だから、わたしにとっては、「隠さなきゃいけない子」っていうテーマは、そもそも存在しようがありません。(隠さなきゃいけないと思うぐらいならなんで産んだって話ですよね。)

そりゃ、だれかれ構わず「おおかみだ」ってばらす必要はないと思います。花が言うように、「びっくりさせたら悪い」というのは、常識的な考えとしては受け入れられます。だけど、子供に、「絶対ばれちゃだめなんだ」とか、そういう強迫観念を植え付けるのは間違ってます。だって、ほんとうにおおかみこどもなんだから。既にこの世に存在する以上は、この世に存在してもいいに決まってるから存在しているわけで、だから、隠す必要なんかありません。
また、既に存在しているものは、隠したって存在しなかったことにはなりません。だから、隠したって意味なんかないです。(親だったとしたら。以上。)

わたしがおおかみだったら

また、自分が「おおかみ」だとしたら、ふだんは普通に生活して、あんまり関係ない人には言わないでしょうが、必要がある場合には、自分がおおかみだってことを、実力行使して認めさせると思いますね。

実は、怖がらないでほしいですが、わたしは実際におおかみなところがあって、普段はすごいおとなしいんですけど、義憤にかられると切れて噛みつきます。切れる相手は、だいたい偉そうなおっさんです。暴力をふるったりはしませんけど、机をたたいたり、肩を押すぐらいはします。で、コラおっさん、ふざけんのもいい加減にしろバカ!と怒鳴りつけて脅します。義憤というのは、無神経なおっさんが、弱い立場にいる人(ほぼ女性)を抑圧するみたいなシチュエーションですが、正義感の基準が普通と違うので、わたしのことをよく知らない人には、切れるポイントが分からなくて怖いってこともあるみたいですが、ちゃんと理由はあるので、わかっていれば地雷を踏まないように気を付けることはできます。

怒鳴りつけたりもしますが、だいたいは早口な議論でまくしたてます。
普通の女性より論理的で、普通の男性より感情的なので、切れて議論をするとかなり強いです。ちょっと論理が怪しくても、スピードと勢いでまくしたてるのが得意技です。あと、社会的地位とかほぼないので、どうなってもかまわないと思ってるところが、普通の人からしたらけっこう怖いと思います。

というわけで、そういうわたしの本性は、もちろん普段はださないですし、本気で切れるということは、もう久しくないですけど(ちょい切れくらいなら、ないわけでもない)、近しい人は知ってるし、そういうのを受け付けないって人は、だいたい向こうからわたしを避けるし、こちらからは、わたしのそういう本性を嫌いそうな人だなとか、「あ、この人と一緒にいたらすぐ切れちゃうだろうな」とかわかるから、近寄らないようにすればいいだけだし、だからそんなに不便なことはありません。(てか、だいたいの人とは普通につきあえますよw ただ、たまにすんごい無神経で傲慢な人がいて、そういう奴に対しては容赦しないってだけです。)
営業職とかだったら大変だろうけど、そういうのじゃないし。

というわけで、そういう本性っていうのは、多かれ少なかれ誰にでもあると思うんですけど、本性なんだから、隠すも隠さないもないもので、だってわたしはそういう人なんだから、それがやな人は、当然わたしのことが嫌いなはずで、そんな人に好かれたいとか思ったって無駄だし、てか、たいていわたしの方でもその人のことが嫌いだし、わたしのことが好きな人っていうのは、そういう本性を持ってるわたしのことが好きなわけで、それで、わたしの本性を好きになれる人のことは、だいたいわたしの方でも好きになれるものです。(わたしのことを好きになってくれたから好きになるってんじゃなくて、感性とか価値観が似てるとか、似てないにしても相性がいいってことですね。)

本性ってそういうものだと思います。だから、どうでもいいときはどうでもいいですが、大事な時には本性を隠しちゃだめだし、思ったことは言わないとだめだし、面白くないのに笑ってたらだめだし、本性を隠して誰かと付き合ったってうまくいくわけないし、てか、本性を隠してたら誰かのことを好きになんかなれないし、もしかわたしが本性を隠してたとして、わたしが本性を隠してるのを見抜けない人に好きになられたって迷惑なだけだし、ってわけで、やっぱりわたしには、「本性を隠さなければならないシュチュエーション」が存在するってのが信じられません。

もしか本性じゃなくて、どうでもいい属性とかだったら、隠したきゃかくせばいいんですよ。そんなのわたしの本質には関係ないことなんだから。たとえばおなかに痣があってはずかしいとかさ、ワンピースの水着を着れば済む話じゃん。で、誰かがわたしを好きになったとして、いよいよ恥ずかしいこといたそうかって時になって、おなかに痣があるのを発見して、あ、やっぱ無理だわとか言い出したとしたら、そんな男こっちから願い下げって思うじゃん。てか、そんなこと言いそうな奴だったら、そんなふうになる前に気づかなきゃだめだし、そういうのに気づくためにも、いろいろ隠すのはよくないし、そもそも、隠してたのがばれたから本質的に物事が変わるとか、そういうことってあんまりないと思うんだよね。(悪いことしたのを隠してたのがバレたとか、そういうのは別だよ。)

というわけで、結論としては、自分で重要じゃないと思ってることだったら、重要じゃないことなんだから、隠したって隠さなくたってどっちだっていいです。で、自分で重要だと思ってる問題については、自分が重要だと思ってる相手に対しては、隠しちゃだめです。てか、隠したって意味ないですって言った方が正しいですね。で、どうでもいい相手に対しては、どうでもいい相手なんだから、言っても言わなくてもどうでもいいです。面倒だったら言わなきゃいいし、そんなに面倒じゃないなら言えばいい。以上。

追記 もっと本質的なおおかみ

上に書いたようなレベルの「おおかみ」だったら、隠すとか隠さないとかの話ですむわけですが、本当のおおかみ(本質)っていうのは、自分で表現しないと、存在するようにはならないものだよね。

その意味では、表現されない(生み出されない)限り、隠されているといえなくもない。
(ほんとは、「ある」ものが隠されてるんじゃなくて、まだ「ない」ってことなんだけどね。)

表現して初めて、ああ、わたしはそういうものだったんだって、自分で自分がわかることがあります。
これは、わかった時点から見ると、今まで隠されていた本質が明らかになったみたいなかんじ(英語でいうとrevealってかんじ)ですが、正確には、そういう本質がわかった時に「生まれた」んですね。
というわけで、本質っていうのは、「ある―もの」じゃなくて、「生まれる―もの」です。って言った方が正確だと思う。

だからなおさら、隠すとか隠さないとかの話じゃなくて、見つけられるか、見つけられないかってことなんだよね。
で、あたりまえだけど、わたしの本質については、わたしが自分で見つけられなかったら、誰も見つけてなんてくれやしない。
やってくれないってんじゃなくて、そんなことは、わたし以外の誰にもできるわけがないってだけの話。
自分のことは、自分でしないとね。

「隠さなきゃ」とか思ってる人は、いちど、「全部言ってみよう」としたらいいと思う。
言ってみようとしなかったら、言えない(言えてない)ことがあるってのには気づかないもんだからね。

で、なにかひとつ、今まで言えなかったことが言えるようになったら、それは進歩だけど、こんどはその先に、新しい「言えてないこと」が出てくるわけですね。そういうふうに、「言えたこと」の背後には、常に新しい「まだ言えてないこと」が生まれて、それを言わなきゃいけないっていうのには終わりがないわけです。

秘密なんて抱えてたら、ちっとも先に進めないよ!

Leave a Reply

Your email address will not be published.

Optionally add an image (JPEG only)