もはや忘れちゃいそうなので、ちょっととびますが、結論だけ書いときます。ながいんですけど、わたしにしては、けっこうよくまとまったかなと自画自賛。

「おおかみこども」のプロットとテーゼ

「おおかみこども」のストーリーラインを簡単に出すと次のようになると思います。

  1. おおかみおとこ、花に愛される。
  2. おおかみおとこ、死んでも花に愛される。=おおかみこども・男、花に愛される。
  3. おおかみこども・男、家を出ても花に愛される。⇒花、おおかみこども・男を見守りつつ隠居する。
  4. おおかみこども・女、ママに捨てられた草平に秘密を打ち明けて、他者承認を得る。

で、このプロットから、次のようなテーゼが導かれます。

  • 男は、女に愛されなければならない。(そうでなければさびしい)
  • 女は、男を愛さなければならない。(そうでなければ存在が認められない)

あれれ? なんだかおかしいですねw 同語反復です。

前者についていうと、おおかみおとこは、花に愛されていたわけですけど、彼が花を愛していたかどうかはかなりあやしいです。愛していたかもしれませんが、「おれを愛してくれる女だから愛してやる」といった程度の愛だったと思いますね。ま、彼の気持ちは描かれていないのでわかりませんけど。
(花が最初におおかみおとこに告る場面、おおかみおとこが「自分の家が欲しい」とかほざいて、花が、「じゃあ、わたしがお帰りって言ってあげるよ」というわけですけど、おおかみおとこにとって、「家」というのは、「そこでなら自分がくつろげる場所」、つまりシェルターなんですね。で、花はそこの番人になってくれるというわけです。おおかみおとこにとっての「家」は、自分が外に対して守らなければならない場所じゃなくて、逆に、そこでなら自分が守られる場所だってことです。だから、花も、おおかみおとこが守らなきゃいけない人じゃなくて、おおかみおとこを守ってくれる人なんですね。)

それはともかく、花と雨が出会った森林オオカミですが、雨は森林オオカミについて「さみしそう」と言い、花に、「お父さんもあんなだった?」と聞くわけですが、花は、全然違ったと言います。要するに、森林オオカミは愛されないおおかみで、おおかみおとこは愛されオオカミだったからさびしそうではなかったというわけですね。
また、「お父さんはママに愛されてたから、さびしいおおかみじゃなかったんだ」というテーゼは、雨に引き継がれて、当然、彼の家出にも影響を与えていると思われます。つまり、「お母さんに愛されてるから、ぼくはこれからもさびしいおおかみじゃない」というわけですね。そもそも彼が家出できたのは、花に愛されていたからだという意味かもしれません。で、これについては文句はありません。なんといっても雨は花の子供ですから、無条件に愛される権利がありますし、家出したって花が雨を愛し続けるのは、普通のことでしょうから。

一方、二つ目のテーゼは、花と雪にかかってくるわけですが、花に関して言うと、彼女は、おおかみおとこや雨や雪のような「スティグマ」を持ってませんので、彼らのような承認欲求を持ったキャラとして描かれていません。(あたしっておかしいかなあ?おかしくなんかないよ。っていうくらい。)つまり、そもそも花は、おおかみおとこに何も求めず、逆に、おおかみおとこに愛を与えるだけのキャラなんですね。この点が、わたしからすると、花にはほんとに人格があるんだろうか?と疑わしくなるところで、単に作者が「都合のいいキャラ」として設定しただけなんじゃないかと思われてしまうところです。

それはともかく、もっと問題なのは雪ちゃんです。雪についての解決は、一応、雪が草平に自分はおおかみだということを告白して、草平がそれを「知ってた」「誰にも言わないから泣くな」とか言って、雪ちゃんはめでたく他者承認を得ましたっていう話なんですが、どうも草平が雪に存在承認を与えるのは、「雪が草平のママになること」と交換条件のように見えてしまって、不愉快きわまりないです。(雪のセリフ「わたしも草ちゃんみたいに、本当のことを言っても笑っていられるようになりたい」から、草平と雪は「本当のこと」の交換をしたとも取れます。つまり、「ママに捨てられた草平」を雪が認めること⇒雪が草平のママになること、と、「おおかみである雪」を草平が認めること⇒黙っててやること、とが、交換されてるように見えるからです。でもこれって、ぜんぜん等価交換じゃないよね!?)

草平のキャラと雪の罪悪感

ちょっと脱線しますが、そもそも草平はいけすかないガキです。雪は、前に草平を引っかいてしまったことに罪悪感を感じていますが、はっきり言って悪いのは草平で、雪が罪悪感をもついわれはまったくありません。

転校初日に、草平は雪に「獣くさい」といいます。で、雪はそれを気にして、草平を避けていましたが、草平は雪に避けられているのががまんならないようで、ホントありえないくらいしつこく追い回して、雪がとうとう抑えきれなくなって、草平をちょっと引っかいてしまうというわけです。

草平は、女の子4人(おそらく、雪以外のクラスの女子全員)とトランプしたりして、ちょっとどうなの?っていう子なんですが、女の子たちに、「草平君おもしろい」とかいわれてて、なにやら妙な人気があるようなんですが、はっきり言ってわたしは嫌なやつだと思います。それというのも、草平はおそらく、最初に「獣くさい」と言った時の雪の反応から、雪のおびえ(コンプレックス)を見抜いて、それでしつこく追い回したとおもわれるからです。大人だったら、そんなん見抜いても、スルーしてあげるのが礼儀ってもんですけど、単にガキだからというよりは、積極的にいじめっ子気質だからだと思うんですが、理由はわからないながらも、自分が雪に対して優位に立ってると気付いたから、しつこく追い回したんだとしか思えませんね。そういうやついるよねー。あー、むかつく。
で、その際あえて無神経な振りを装ったりして、そもそもほんとに無神経な子だったら、自分が避けられてることに気付きませんってw

だからわたしは、いくら引っかいちゃったとはいえ、雪が草平に罪悪感を持ついわれはぜんぜんないと思うんですが、不幸なことに、そもそもおおかみおとこと花によって植えつけられていた、「おおかみだとばれたらいけない」っていう強迫観念が、草平を引っかいたことによって内面化されてしまったようなんですね。
わたしは、花ちゃんが雪ちゃんに対して、「おおかみであること」はぜんぜん悪いことじゃないってしっかり教えなかったのは、どう考えても悪いことだと思います。教えないどころか、逆に、雪に対しては、「おおかみであることはいけないことだ」って教えていたとしか思えないので、ここで草平を引っかいた事で罪悪感を持ってしまった雪ちゃんがかわいそうでなりません。やっぱり花ちゃんは雪ちゃんを愛してなかったんだろうなと思います。(脱線終わり)

マザコン構造とマッチョ構造

さて、話をもどします。
以上のプロットから導かれる二つのテーゼは、同語反復なので、ひとつにまとめます。すると、
男は女に愛されなければならない。男は女に愛されることでさびしくなくなるし、女は男を愛することで存在が認められるから。
ってなりますね。
で、こりゃかなりとんでもない主張だなと思うのは、わたしだけでしょうか?

この構造を「マザコン構造」と呼びたいと思いますが、このテーゼの問題点は一目瞭然で、愛の方向が、女⇒男の一方通行な点ですね。インタラクティブじゃないので、ポジティブフィードバックも起きない。だから、どこにも行かない、てか、どこにも行けない閉じた世界なわけです。この映画のキモチワルサは、こうした世界の閉塞性に根本原因があると思います。

一般に、パパが愛されることを望んで、子どもも愛されることを望むと、ママの取り合いになるのは必然で、だからフロイト的テーマである父殺しでも使えばまだましだったのに、母の取り合いになる前に、おおかみおとこは作者によってあらかじめ消去されてしまいました。で、なにやらうやむやのうちに、花が雨を愛するのは、おおかみおとこを愛することと同じことだっていう図式が導入されてしまいます。最後に雨を追っかけるシーンなどでは、明らかに雨=おおかみおとこになっていて、これまたキモチワルイと思いました。

また、「おおかみであること」に対しても、ジェンダーによって差があります。草太は雪を「くさい」といったけど、花はおおかみおとこを「くさい」といわなかったという点ですね。おおかみおとこが変身して、「こわいかい?」と聞いたとき、花は、「こわくない。あなただから」といいます。
つまり、草太が雪を認める際の態度は、「くさいけど、黙っていてやる」みたいな上から目線な認め方なわけですが、おおかみおとこは、おおかみであるからというよりは、「あなただから」、花に愛される権利があるというわけなんでしょうね。ジェンダーによってかなり偏りがあるように感じます。まったく!なにそれ!?ですよ。(花は、雨に対しては、「お母さんはなにがあってもあなたの味方」って、言ってますが、雪に対しては言ってません。むしろ、「(草太に)あやまりなさい」と言います。)

さて、ギリシャ神話では、最初の父権的な神さまであるウラノスの男根を、息子のクロノスがちょん切るという話があります。さらに、クロノスもまた、自分の子に父権を奪われるのを防ぐため、生まれた子を飲み込んでいたけれど、母のレアーが末っ子のゼウスをうまく隠して、成長したゼウスがクロノスを倒して父権を奪うという話もありますね。

父権的な構造における父と母と子の関係。

  1. 父は、母を愛する。
  2. 母は、子を愛する。
  3. 子は、父を倒して、次代の父になる。

最後の、父を倒すというのは、要するに権力奪取ということですが、父と子が同じ組織に属している限り、いづれは権力移譲がなされなければならないわけですから、これは必然です。今の日本で一般的なように、子どもが家を出るのが普通というなら闘争はおこりませんが。
とにかく、実際に殺すことは普通はないですが、隠居させるとかして、権力の受け渡しをするわけですね。(ガイアは父と子が対立した場合、常に「子」の味方になりますが、クロノスのように、その「子」が父権を発揮するようになると、たちまち敵対します。ゼウスの場合でもそうです。つまり、「母」は、「父」に対する「子」の味方なだけで、いかに実の「子」であっても、権力を持った元「子」に対しては味方してくれません。てか、ガイアの場合は化物を差し向けたりしますw 「母」は、弱いものである「子」の味方なのであって、大人になり強くなった「子」を守ってくれたりはせず、そういう強い「子」が、弱い「子」を迫害したなら、躊躇なく弱い方の味方につくのです。マザコン傾向がある男子は、そこのところをちゃんと肝に銘じておくべきだと思います。)(さらに余談ですが、活躍した戦国大名は、父親が早く死ぬか、隠居するか、追放されるかして、若い時期から家臣を掌握することになり、それによって強大な大名になれたという場合が多いです。信玄、謙信、義元、信長、政宗など。もちろん、父が早死にしても、子がダメな子だったら家をつぶします。氏真。)

で、上記の父母子の関係を、おおかみこどものプロットに当てはめてみます。父権的な構造なので、とりあえずマッチョ構造と名づけましょう。

  1. 男は女を愛し、父になる。(そうでなければさびしい。)
  2. 女は愛されて母になり、子を愛す。(そうでなければ自分の存在が肯定されない。)
  3. 子は男になり、(外の)女を愛して父になる。もしくは、子は女になり、(外の)男に愛されて母になる。

図も書いてみました♪
父母子

マザコン構造と比べると、だいぶマシになりましたね♪
矢印は、愛のインテンションですけど、エネルギーの流れる方向(強い方から弱い方へ)でもあります。男は、女子供を愛し、フィードする責任があるということですね。
で、マッチョ図式では、大人になった「男」には、愛される資格がありません。なぜなら強いものだから。マッチョな考えでは、愛もまた、強い方から弱い方へ流れるものなので、子供のうちは、もちろん「母」から愛されます。でも、大人になったら愛されず、むしろ愛さなければならないというわけです。(マザコンというのは、大人になった男が「愛されたい」という幼児的欲求をもって、退行現象を起こしているというわけですね。)

一人前の男は、「愛する主体」であるべきで、「客体」であってはいけないのです。これはまあ、伝統的な(つまりマッチョな)考え方ではふつうのことです。だから、マッチョ図式の世界では、一人前の男が「愛されたい」とか思うこと自体が、唾棄すべき女々しさだといえます。

ジェンダーフリー構造

さて、とりあえず、おおかみおとこ図式とマッチョ図式を見てみましたが、マッチョ図式は父権的すぎるので、もうちょっと現代的に、ジェンダーフリーな図式を作ってみてもいいでしょう。

つまり、

  • 人は、誰かに愛されなければならない。(そうでなければ、さびしい。)
  • 人は、誰かを愛さなければならない。(そうでなければ、自分の存在が肯定されない。)

というわけですね。マザコン図式も、ジェンダーを取り去れば、まあ悪くない図式になりますね。
わたしとしては、順番を逆にしてもいいかとも思うんですが、まあ、子供時代も考慮にいれるなら(教育的視点を入れるなら)、この順番のほうがいいかなと思います。だれでも、「親に愛されること」によって世界との関係をはじめるわけですからね。で、一人前になったら、男でも女でも、主体的に「だれかを愛する」ことができるようになって、「だれかを愛する」ことではじめて、本当に一人前になれる(存在が肯定される)ってわけですね。(誰かを愛するっていうのは、最初は配偶者のことでいいですけど、子供が産まれたら、子どもを愛するって話にシフトするわけですね。もちろん、配偶者&子供でも問題ないわけですけど、優先順位をつけると、やっぱ子>配偶者かなと思います。で、その子達も、大人になったら別の誰かを愛するようになって、ってなるので、ポジティブフィードバックがおきてるといえるわけですね。)

「おおかみこども」からなにを読み取るか

ネットのレビューから、おもしろかった感想をふたつほど紹介します。

①『おおかみおとこの雨と雪』って糞だったよね より
26:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/02/21(木) 20:05:51.30
まぁこの映画を批判する女か支持する女かで彼女候補を厳選できるよな
批判する女←将来は典型的な鬼女確定なので縁を切ればいい
支持する女←将来理想的な母親になること間違いなしなので狙っていく

②Yahooのレビューより
(前略)
映画が始まりました。
私は時間がたてばたつほど心が離れていきました。
初めて上映中に残り時間を気にしました。
ようやく逆算するとあと10分かな、と思った頃に
横を見ると涙を流している彼が居ました。
そのことを深く考えると開けてはいけない箱を開けてしまう様な気がしたので、「彼は性格がいいんだ」と思い込むようにしました。

(中略)
鑑賞後、知らず知らず機嫌が悪くなっていたのか、
恋人とけんか別れをして帰宅しました。

上のお二人は、わたしと同じく、「おおかみこども」からマザコン構造を読み取っているんだろうなと思います。(こうした、構造を読み取ろうとする読み方でない人というのもかなり多いですが、レビューを書くくらいのモチベーションがある方は、わりかし構造的に見ているかと思います。)
で、上の方はその構造に賛成(賛成なのか、韜晦してるのかわかりませんがw)。がんばってご自分のママになってくれる彼女を見つけてください。
下の方は、賛成してるかもしれない恋人を見てドン引き。「深く考えると開けてはいけない箱を開けてしまう」可能性はかなり高いような気がします。「お気をつけて」としか言いようがありません。ま、わたしだったらもちろん、とことんまで問い詰めますけどね。

で、彼女は彼氏さんの「性格がいいんだ」と思おうとなさったということですが、これはつまり、もっと単純に、条件反射的に「感動」して、「いい映画だ」と思う人なんだってことだと思います。「性格がいい」、というよりは、「性格が素直」っていった方がいいと思います。もしくは、「こまかいことは気にしない」とか? ものごとを表面的にしか見ないとか? いかんいかん、だんだん悪意がある表現になってくるw
で、そういう方は、実際のところ、たくさんいらっしゃるようです。
参考までに、この方の記事のコメント欄とか見ると、いろんな人がいるなあと思いますね。

例えば、
「おおかみおとこが死ぬ」⇒「配偶者が死んでかわいそう」⇒泣く
とか、そこまで還元しちゃえば、どんなことにだって感情移入できるってw
ぶっちゃけ、人は、たいていのことに対して、「泣く」ことができますので、「泣く」こととか、「感動する」こと自体には、たいした意味はありません。(わたしはコンビニのオニギリを見て泣いたことがあります。)

さて、話を戻して、「おおかみこどもの雨と雪」から、例えば、最後に示したジェンダーによる偏りを抜き去ったバージョンの構造を読み取った人は、「おおかみこどもすげー」と、感動するかもしれません。でも、わたしからすると、「おおかみこども」から、直接、こうしたジェンダーフリーな構造を読み取るというのは、粗い読み方にすぎるかなと思われますが。

で、もうちょっと細かく見て、ジェンダーによる偏りがあると読み取った人は、「クソみたいな話だな、おい」って思うかもしれませんし、逆に、マザコン的世界観を自明のことと思ってるような輩なら、やっぱり、「すばらしい話だな。やっぱママは偉大だよ。」と感涙にむせぶかもしれません。

というわけで、場合によっていろいろですね。一緒に見た彼女が「おおかみこども」に感動したからといって、即座に「僕のママ」になってくれるやさしい彼女さんかどうかはわかりませんし、彼氏さんが「おおかみこども」を見て泣いたとしても、それが即座に、彼が自己中マザコン野郎だということの証拠にはなりません。その辺は、もうちょっと話し合ってみないと、判断するのは難しいところでしょうね。

ちなみにわたしは、細田監督とおおかみおとこに虐げられる花と雪ちゃんがかわいそうで、何度泣いちゃったかわかりません。そんな理由から泣く人だっているわけですから、泣いたからといって「鬼女」にならない保障にはなりませんよ♪

おわりに

最後に、わたしとしては、初見時、雪ちゃんが女のおおかみこどもで、雨よりも活発だという設定だったので、親の代のジェンダー間の不均衡(おおかみおとこの呪い)が、逆転するのかな?とそれなりに期待してみてたんですが、結局、自分の甘さにあきれかえりましたね。
なんとも最悪の形に収束してしまって、これはちょっと、マジでむかつくと思いました。雪ちゃんがかわいそうでなりません。
ただ、まだ小学生だし、ちゃんと草平とくっついたわけでもありませんので、あそこで劇が終わったという点に、一抹の希望が残ったかなと、無理やり思い込むことにしています。

ねがわくば、中学では、草平に、
「あんたのママになるつもりなんかない! きもいから近寄んな! てか、くさいのはてめーだ!! このマザコン野郎!」
って言えるような強さを身につけて欲しいです。

で、草平がうろたえて、
「そ、そんなこというなら、お前の秘密ばらすぞ!」
とか、もお小物感全開で、みにくく取り乱すのをみて、

「うっざい男だな。どーぞご自由に♪」
って開き直って、そんでもって、もういっそ、おおかみ少女アイドルになって、尻尾&犬耳萌えの変態ケモナーどもの女王になって、大金持ちになる!!とか、そういう人生を歩んでくれたらいいと思います。

でも、細田君にまかせたら、もお、花ちゃんと同じく、一生奴隷として飼い殺しにされるのは目に見えてるので、絶対に彼には続編を作らないで欲しいです。

ついでに、雨ですが、彼は望み通り犬になって、かわいい犬のお嫁さんか狸のお嫁さんをもらって、かわいい子犬か子狸を50匹くらい産ませて、一族で幸せに山で暮らせばいいと思います。狂犬病とフィラリアとジステンバーの予防くらいはした方がいいと思いますけど。

2 comments on “おおかみこども見た⑤ 結論”

  1. 初めまして。突然のコメント失礼いたします。「おおかみこども」の感想をネットで検索していて、この記事にたどり着いたものです。
    最初に表示された記事だけ流し読みをするのが常で この記事もそのつもりで読んでいたのですが、大変面白く、論理的で、毒がありつつ(笑)私のような馬鹿にも分かりやすく、つい最初から最後まで読んでしまいました。

    マザコン構造、なるほどこういうことか!と納得を通り越して感動しております!
    というのも、自分語りとなってしまって恐縮ですが 私 漫画家を目指す学生でして、「おおかみこども」が公開され話題になっていたころ、仲間と一緒に 参考のため映画館まで見に行ったのです。そして見終わったとき、仲間が感動しているのをよそに 何とも言えない不快感、嫌悪感にとらわれてしまい、これはいったいなぜだろうと疑問に思っていたのです。

    それは 出てくる男(監督含め)がマザコン野郎ばかりだったからなんですね!うちにもニートの兄がいたので既視感がそのまま嫌悪感になったんだと今分かりました。ママを求めてくるくせに横暴な大の大人の男のウザさがこの記事で懇切丁寧に力説されていて、やっと「ああ、あの男共はみんな異常だったんだ」と理解できました。

    物語を作る際の人間関係の構成、配置において、予定調和的妄想世界の問題点、マザコン構造の問題点、マッチョ構造の漢らしさ、ジェンダーフリー構造など 大いに参考にさせていただきます。(勝手にすみません汗。しかし、本当に人間関係について考え直す大きなきっかけとなりました!)

    あと、記事の中に難しい単語が多く 意味を調べながら読み進めていたので、もっといろいろ勉強せねばという情けなくも前向きな気持ちが生まれました(ポジティブフィードバックですね笑)

    とにもかくにも大変ためになりましたので、お礼を申し上げたくてのコメントになります。
    いきなりこんな長文を送りつけて お礼も何もないかもしれませんが、気持ちが伝われば幸いです。
    素敵な記事をありがとうございました。

    • Aさん、長いのにぜんぶ読んでくださったそうで、さらにはコメントまでしてくれて、ホントありがとうございます♪

      若い方に読んでもらって、なんらかの感銘を与えられたなら、頑張って書いたかいがあったなって、うれしく思います。

      わたしは、「おおかみこども」をこないだテレビで初めて見ました。その前から、けっこう売れたって話は聞いてたんですが、見てみて、なんでこれが売れたのかね?と思ったので、ネットでいろいろ感想とか見てみたら、ほめてる方とけなしてる方がいて、いろんな見方があるのはいいことなんですけど、ほめてる方々のいい方が、「これを批判する奴は心が貧しい」みたいなのが多くて、あと、「つまらなかったら見るな」みたいな風潮もあったので、そういうのはよくない態度だなと思ったので、わたしの意見を書いてみました。賛成であれ反対であれ、ある作品について、「わたしはこう思った」っていう意見は、たくさんあった方がいいに決まってますからね。

      マザコン構造みたいな考えについて、個人的にはいけすかない考えだとは思いますけど、物語の登場人物がそういう考えを持ってたとしても、それが彼のキャラクター表現としてリアリティがあるなら問題ないと思います。(ニートのお兄さんにしても、マザコンでしょうもない奴だとしても、ちゃんと存在してるわけですよね。だから、物語中にそういう人が出てくれば、物語をリアルにするわけです。)
      問題なのは、対立する考えであるとか、キャラクターであるとかが出てこなくて、「おおかみこども」の物語世界の中では、それがあたかも「真実」であるかのように提示されている点ですね。要するに、世界としての厚みがないってことです。で、そういう世界としてのうすっぺらさに対して、「リアリティがない」って批判がされてると思うんですが、賛成派の方々は、「ファンタジーなんだからリアリティなんかいらない」みたいな頓珍漢な反論をする方が多くて、その点もけっこう問題だと思いました。

      Aさんは、学生さんだということで、若くてうらやましいな♪
      漫画を描いてるそうですが、お話を作ろうとかいう人だったら、いろいろな物語を読んだり見たりしないといけないですよね。で、単に楽しむためだったら、「つまらない」と思ったものは忘れちゃっても構わないんですが、勉強でするんだったら、「面白くない」と思ったものがどうして面白くないのかっていうのを説明できるようにならないといけないかなと思います。(自分の見方がしっかりしてないと、批判はできないですからね。)
      「おおかみこども」には、そういう批判的視点がないから、うすっぺらな世界になっちゃってるんだと思います。
      というわけで、上から目線で申し訳ないですが、いろいろ勉強して、面白い漫画が描けるといいですね♪

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