こんばんは。くまぶしです。
今日はNHKのご近所の底力という番組を見ました。なんでも、東京で野良猫がたくさんいて困っているらしいです。それで、野良猫にえさをやる人がいるから増えるのだと文句をいう人たちと、餌をやれば盗みは働かないし、去勢してやれば増えないからいいのだという人たちが出てきて、話し合っていました。
問題なのは、猫がゴミをあさったり、糞をしたり、車の屋根に乗って傷をつけたりすることだそうです。
猫が嫌いな人たちは、どうやら猫の存在自体が許せないみたいです。殺してしまえとはいっていませんでしたが、餌をやらずに飢え死にさせようと思ってるみたいでした。逆に、餌をやる方の人も、去勢してしまえば、結局のところそのうちいなくなるからいいのだといってました。
それで結論は、地域猫という運動があって、要するに、地域で猫を飼うという仕組みをつくるといいということでした。まあそれならそれでいいのですが。
動物を去勢するのは、ペットとか競争馬とかなら意味がありますが、野良の動物を去勢するのは無意味だと思います。実際には無理でしょうが、野良猫を全部去勢したなら、原理的には野良猫はいなくなるはずです。でもそれは、今殺さずに5年後に殺すというのと同じことだと思います。絶滅させるという意味でですが。番組では、「今いる野良猫が天寿をまっとうしたら、野良猫はいなくなる」といっていましたが、そんなに野良猫がいるのがいやなら、今ぜんぶつかまえて殺してしまえばいいのにと思います。ゴキブリとかにするみたいに。でも、ゴキブリを叩き潰すのはちょっと気持ち悪いです。猫を殺すのは、ゴキブリを殺すのより、勇気がいります。だから、猫嫌いの人も、去勢することで、「自然に」絶滅するのを待つのがいいと思うようです。
けれど、地域猫というのは、要するに、地域全体のペットとして猫を飼うということみたいですので、猫が好きな人には、おうちで猫を飼うのと同じく、意味があることだと思います。それから、猫が嫌いな人にとっても、自分で猫を殺さなくてもいいという点で、意味があるのだろうと思いました。都会は人がたくさんいるので、なににつけても大変ですねと思いました。くま。
ちなみに、くまぶしは、わりと猫好きです。くま。
may 30, 2008
永遠回帰のくまぶし2008目次
罪悪感から逃げたいだけかぁ
ほんと全部去勢して結果絶滅させる気なら
自分たちの手で罪悪感を感じながら
殺せばいいのに
たーさん過激ですね。
なんでも、動物愛護法というのがあって、みだりに殺しちゃいけないとされているので、憎いから殺すとかいうのはだめみたいです。殺すのが虐待で、去勢するのは虐待じゃないというのは、よくわかんないですが。
猫の気持ちになって考えるなら、去勢されるということは、猫じゃないものにされるということで、たぶん、すごくいやなことだろうと思います。猫によったら、去勢されるくらいなら死んだ方がましと思っている猫もいるかもしれません。
けれど、猫がどう考えているかはわからない、というか、人間が考えるようなやり方では、何も考えていないだろうから、去勢されようがなにされようが、猫にとっては関係ないわけです。でも、それだったら、殺されたとしても関係ないわけです。
そうなると、結局、殺すよりは去勢した方がいいというのは、人間の都合なんだろうと思います。動物愛護法違反で逮捕されるのはやですしね。
くまぶしは、猫を去勢しようが、殺そうが、やりたいようにやればいいと思います。ただ、どっちにしろ「猫」を支配するのだという、断固たる意志をもってやってほしいと思います。「猫のため」とかいうのはやめてほしいです。
臭い物にフタ
みたいな感じですね。
根本の
「ナゼ野良猫が増えたのか」
を理解して解決しないと、
同じ事の繰り返しになる気がします。
まあ、それでも「地域猫」と言う概念?を持つ事によって、
「ナゼ野良猫が増えたのか」を意識するようになる?
かもしれないですけど・・・
ただ、どちらにしても「猫のため」と言う考え方自体は
ナンセンスですね~。
結局、人が考えた上での「猫のため」だし、
それ以前に、人と猫が同じ知性?思考力?の様な物を
持っていて、初めて成立する事だと思いますから。
くまぶしさんが言う様にそれこそ
人が「猫のため」に何を考え、何をしようと、
猫には関係が無いと言うか、分からない?から。
(多少は分かっているかもしれないけれど)
私は単純に猫が好きで
一緒にいると幸せを感じる(大袈裟?)から
猫たちと同居?しています。
ようは私自身のために、です。
それで万が一、猫たちもハッピーなら儲け物?ですね。
またまた長文でスイマセン。
猫Giさんは、猫好きですね。
そういえば、くまぶしの先輩に一人、猫を溺愛しているおじさんがいました。格闘技とかして、普段はわりと怖い人なんですが、猫を見るといちいちとろけるので、すごい怖かったです。その人は、猫を飼っているというよりは、猫に仕えている感じでした。
猫好きの人にとったら、猫と心が通じ合うのは当たり前のことです。でもそれは、星の王子さまのキツネみたいに、その猫とその人との、一対一の関係で、初めて可能になるわけです。キツネがいうように、飼いならすというのは、責任を引き受けるということです。
猫ぎさんの猫が幸せなことと、猫ぎさんが猫といて幸せなことは、同じことなんだろうと思います。それは断固たる偏見かもしれませんが、愛というのは断固たる偏見であるべきだと思います。くま。
あと、くまぶしに比べたら、猫ぎさんはちっとも長文じゃないですね。くま。