20090129k0000m050113000p_size5昨日、ニュースを見ていたら、朝青龍がガッツポーズをしたといって、相撲協会の人が文句をいってました。

なんでも、ガッツポーズというのは、品格にかけるんだそうです。それで、誰だか知りませんが、「土俵は神さまも見ていて神聖だからガッツポーズをしちゃいけないんだ」といってました。
なんのこっちゃとおもいます。
神さまがガッツポーズを嫌うというのは偏見だと思いますし、ガッツポーズが品格がないというのも偏見だと思います。

本当は、横綱は品格がなくちゃいけないというのも偏見だと思いますが、それはまあいいです。横審がいう品格というのは、中学校の校則で中学生らしい服装をしなさいというようなもので、明確に定義できないきまりをつくって、なんとなく気に入らないやつをいじめるためにあるんだと思います。

相撲協会は、すぐに伝統だというのを好みますが、ガッツポーズをしちゃいけないとかいうのは、たぶん、最近になって捏造した伝統にすぎないと思います。

20081129225255前に紹介した、かたおかめという昔のお相撲とりです。品格ないですね。でもこの人は横綱じゃなかったから、いいのかもしれません。

お相撲が、もともと神事だったというのは本当ですが、儀礼(リチュアル)と祭礼(フェスティバル)でわけたら、もちろん祭礼のほうです。品格だの何だのというのが大事なのは、リチュアルのほうで、フェスティバルにおいては、逆に、そんなのかんけーねーという大騒ぎが大事なわけです。

だから、横綱に品格がなくちゃいけないといってもまあいいですけど、あんまりうるさくいうのは興ざめですくま。
jan. 29, 2009
永遠回帰のくまぶし2008目次

つづき。ガッツポーズと「伝統主義」

4 Comments on 74.朝青龍のガッツポーズのこと

  1. そういえば

    そういえば、NFLでも最近は、オーバーセレブレーションをするとアンスポーツマンライクコンタクトをとられますね。前に、ファルコンズが強かったときに、みんなで集まってダーティーバードダンスというのをやってて面白かったんですが、今は、タッチダウンの後に、タッチダウンをした人以外の人がセレブレーションをすると反則をとられます。
    あと、一部のクリスチャンは、勝った側の選手が「神に感謝します」とかいうと、神さまが片方のチームを応援するなんておかしいといって文句をいいます。こういうのは、ピューリタン的とおもいます。
    そんなに堅苦しいことをいうなよと思います。くま。

  2. おひさしぶりです

    おひさしぶりですー。

    朝青龍君のガッツポーズ問題ですね。
    微妙な問題ですね。
    大相撲は、スポーツや格闘技、
    文化や伝統や神事、それと興行の
    狭間にあるので、それらのどこにおもきをおくかで
    変わってしまいますね。
    それとは別に競技として世界に広まっている、
    広まっていないなんかでも
    そのあたりが変わってくるのかもしれませんね。

    ちなみに剣道(の正式な大会など)は
    ガッツポーズをすると【負け】になってしまいますね。

  3. 私は、ガッツポーズに反対です

    勝負は、時の運、という部分があります。
    力が伯仲している同士の勝負は、勝者自身の力だけでなく、神が決めている部分があるという発想でしょう。
    日本の武道に共通する価値観に【勝っておごらず】ということがあるのは、そのためです。
    神の思し召しにより、きょうは勝たせていただきました、というのが、神事における勝者の態度として望ましいとと思います。
    相撲協会は、ガッツポーズをやるな、というのではなく、以上のことを朝青龍に教えるべきなのでしょう。

    • bt9さん

      bt9さんこんにちは。はじめまして。

      ガッツポーズというのは、正確にはガッツ石松ポーズということなので、お相撲的じゃないというのはわかります。反対でもいいと思います。くま。

      ただ、神さまが決めるというのはどうでしょうか。確かに、神事としてのお相撲の場合は、年占になる場合が多いのですが、占いといっても、部落を上と下にわけて、上が勝ったら豊作で下が勝ったら豊漁になるとか、勝った方が豊作になるといったようなものです。負けた方が不作になるわけではないので、一応占いという形式をとってはいますが、ほとんど呪術といってもいいんじゃないかと思います。つまり、神さまの意志を問うというよりは、勝ったんだから豊作にしてくれよということです。ご褒美の強要ですね。

      また、一人相撲なんかの場合は、相撲の相手は神さまです。それで、だいたいどっちが勝つかはきまってるんですが、やっぱり神さまを楽しませてよろしくお願いしますということみたいです。でも、中には、こっちが勝ったんだからいうことを聞けというようなのもあったようなきがします。

      一方、以上のような神事としてのお相撲とは別に、勧進相撲というのがあります。今の大相撲は勧進相撲の子孫ですが、勧進相撲は、お祭りの一部として開催されることもありますが、それ自体が神事なわけではありません。要するに、お祭りのときに的屋さんがお店をだすのと一緒で、楽しいお祭りの一環としてお相撲をするわけです。こうしたお相撲の場合は、どっちが勝ってもそれ自体はどうでもよいことなので、神さまは別に勝負を決めたりはしないんじゃないかと思います。

      それよりも、お相撲を見ることそれ自体が重要なのだと思います。例えば、河童や天狗がお相撲がだいすきだといわれているように、神さまもわりとお相撲好きなんだと思います。もちろん神さまによるでしょうが。競馬とか騎射などをやることもあります。それで、勧進相撲のように、それ自体が神事ではないお相撲の場合は、人がお相撲をみて楽しむように、神さまもお相撲をみて楽しむんじゃないかと思います。だから、勝った方を祝福するぐらいはあるかもしれませんが、神さまが勝負を決めるというのはちょっといかがなものかと思います。←麻生さんのまねだくま。

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