こんばんは。くまぶしです。こないだの記事で朝青龍のガッツポーズのことを書いたら、めづらしくコメントが三つもつきました。やはり時事ネタは反響がありますね。くま。それで、お返事のコメントをひとつ書いたのですが、長くなってしまったので、猫Giさんとタコのお返事は新しい記事にします。だから、いちおうこないだの続きです。くま。

さきほど、柔道の山下さんがオリンピックで勝ったときの思い出の番組をやってましたが、ガッツしまくりでしたね。要するに、オリンピックだったら別に問題にもなりゃしないということでしょう。
それで、一つ思ったのは、グーでやるからガッツ石松ポーズになるわけで、パーでやったらいいんじゃないかと思います。パーならバンザイなので、日本的なのだと言い張ることができるんじゃないでしょうか。くま。

猫GIさんのいうように、大相撲というのは、スポーツなのか格闘技なのか伝統行事なのか神事なのか興行なのかが曖昧です。それは別にいいんですが、「かわいがり」が悪しき伝統で、「ガッツポーズをしないこと」がよき伝統であるといわれると、ちょっと気に入らないなと思います。どうしてかというと、いい伝統、悪い伝統という判別は、ある立場から判断して、この伝統は良くて、この伝統は悪いといってるわけです。それで、そういう判別をくだす視点は、非伝統的な視点(伝統の外にある視点)です。

ややこしい話なので、ちょっと整理します。伝統が大事という立場を、とりあえず伝統主義とよぶとして、この伝統主義に二つあります。一つは、本当の意味での伝統主義で、もう一つは、くまぶしの気に入らない伝統主義です。「本当の意味での」というのは、「言葉どおりの意味での」という意味で、別にほめているわけではありません。

本当の意味での伝統主義というのは、伝統は伝統であるがゆえに正しくて、現在の根拠になりうると考える態度のことです。こうした態度はもちろん「前近代的」ですから、近代的な態度からするとあまりよろしくないものと考えられています。(くまぶしは別によろしくないとは考えていませんが、よろしいこととも考えていません。もちろん、くまぶし自身はそれほど伝統主義的ではありません。クール&シニカルなくまなのです。)けれど、昔の人はだいたい伝統主義です。有職故実とかはまさにそうですし、神話や儀礼が意味を持つ根拠というのも、こうした伝統主義的態度にあるわけです。

例えば、あるお祭りをするのは、昔からしてきたからです。一般にお祭りには、豊作になるとか穢をはらうとか、そういったさまざまな「効能」があるとされていますが、そうした「効能」ゆえにお祭りをするというのは正確ではありません。まず第一にお祭りをすることになっていて、そのお祭りに+αとして「効能」があるというのが正確だと思います。極端な話、今の人はたいてい、お祭りに「効能」があるなんて信じちゃいませんが、それでもお祭りをします。(しない人ももちろんいますが。)その点では、昔の人と同じだと思います。

さて、以上が文字通りの意味での伝統主義ですが、これに対して、くまぶしの気に入らない伝統主義というのは、近代的伝統主義のことです。近代的伝統主義というのは、近代ナショナリズムとだいたい同じものだと思います。この態度では、伝統が大事だと主張しますが、本当の伝統主義のように、伝統に「盲従」しません。本当の伝統主義は、魚が水の中にいるように、伝統の中で生きていて、それ以外の生き方というのはありえないのですが、近代的伝統主義は、「伝統に従わなければならない」と主張します。つまり、伝統に従うか従わないかは、個人や共同体の選択にかかっているわけです。だから結局のところ、大事なのは伝統ではなく、特定の伝統を大事だと思う自分の判断なのです。

お相撲の場合でいうと、ガッツポーズをしないこととか、女性を土俵に上げないことが伝統的であるがゆえに守られなければならないというなら、「かわいがり」も、相撲協会の閉鎖的性質も、八百長も、伝統的であるがゆえに守られなければならないといわなければなりません。「よい伝統」は伝統であるがゆえに守らなければならず、「悪い伝統」は伝統であっても守るべきではないというのはおかしいと思います。

長くなったので結論をいうと、「伝統ゆえに」ということは、本当の伝統主義的人間でない人(つまり近代人)にとっては、理由にならないということです。今回の相撲協会の判断もそうですが、近代的人間が「伝統」を論拠に何かを批判するときは、単に明確に提示しえない「自己」というのを正当化しているだけだと思います。特に朝青龍に対して「伝統」を云々するというのは、近代ナショナリズム全開でちょっと不愉快です。そんなに「伝統」が大事なら、最初から相撲なんぞやらせなきゃいいのにと思います。

ちょっと攻撃的になりましたが、別にそれほど怒っているわけではありません。こういうことはよくあることですし。ただ、相撲協会の人が、神さまがどうのこうのいっていたので、2センチくらいむかついただけです。ちなみに、くまぶしが困ったことだと思っていることは、本当の伝統主義と近代的伝統主義を一緒くたにすることです。くま。
feb. 7. 2009
永遠回帰のくまぶし2008目次

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