雑談です。ぬいです♪
縫殿というのは、もともとは縫殿寮という役所がありまして、官服を縫ったり、後宮の女官の人事とかの役所でした。中務省の中にありました。読み方は、「ぬひどののつかさ」が正式ですが、縫殿と書いて殿は読まずに、「ぬひ」ということが多いです。
で、長官が縫殿頭、次官が縫殿助で、もちろん允(じょう)と属(さかん)もありましたが、武士がそれっぽく自称するときは、たいてい縫殿助です。
武士が官職っぽい名前を名乗るときは、まあだいたい助が多いですが、殿様とかは本当の官職をもらいますね。殿様は、だいたい「かみ」です。戦国時代とかだと怪しいですが、江戸時代にはもらってます。で、だいたい従五位下とか正六位とかですね。
この人は伊豆守です。お父さんは安房守です。
この人たちはちゃんと叙任されているので本物の官位ですね。
電光素材のおじいさんは、
弾正を名乗ってましたが自称です。
信長も一時弾正忠でしたが、これはもらったやつです。また、松永久秀は弾正少弼ですね。あと、浅野長政もそうですね。謙信公もかな。
高坂弾正と保科弾正は正式じゃないっぽいですが。武田の三弾正で、高坂が逃げ弾正、真田が攻め弾正、保科が槍弾正ですね。
弾正台というのは警察みたいなものです。で、かみが尹(いん)、すけが弼(ひつ)、じょうが忠(ちゅう)ですね。
弾正台はけっこうえらい役所なので、官位相当表だと、すけで正五位、じょうが正六位ですね。
大石内蔵助の息子の主税(ちから)とかみたいに、官位っぽい名前(通称)を名乗ることがあります。
戦国時代とかだと、弾正忠とか周防守とか、実在する官名を、おおっぴらに自称する人がけっこういましたが、江戸時代になると恐れ多いので、弾正とか、周防とか、正式の官名ではない、それっぽい名前を名乗ることが多いです。百官名といいます。(こまかい話ですが、正式の官職名を私称する場合は受領名といいます。縫殿だったら百官名ですが、縫殿助だったら受領名というわけですね。これとは別に東百官というのもあって、一学とか頼母とか伊織とか数馬とか、そういうやつで、正式にはそんな官職はないのだけれど、なんとなく官職風な名前です。EX.典膳は内膳司の介なので受領名、丹下左膳の左膳は、そんな官職はないので、東百官になります。)
ちなみに、今でもいる「大介」とかも同じで、何かの大介とか大輔で、官職っぽい名前というわけで「大介」なんですよw
○○左衛門とか○○右衛門とかもそうです。
主税というのは、主税寮(ちからのつかさ)の頭か助か、まあ助でしょうが、何かそれっぽいイメージで名乗っています。
もちろん、正式な官位を持っている人が、「筑前」とか「治部」とか呼ばれたり名乗ったりすることはあります。三成は治部少とか治少とかもいわれますが、治部少輔(ちっちゃいほうのすけ)が正式です。読み方は「じぶのしょう」です。
あ、そういえば、大石内蔵助は正式名称ですね。たぶん自称(受領名)だと思いますが。(息子の主税は百官名です。)
もちろん、浅野内匠頭や吉良上野介は正式に叙任されています。もちろん武家官位なので、正式といっても単なる名乗りですけど。
織田上総介は最初は自称ですが、後に正式に任官してたと思います。
で、前置きが長くなりましたが、わたしの名前の縫殿というのは、もちろん自称(百官名)です。あたりまえですがw
あまりメジャーな通称ではないのでしょうか?読み方がわからないとよくいわれますw
内蔵で「くら」とか、主計で「かずえ」とか、主税で「ちから」とか、造酒で「みき」とか、いろいろ特殊な読み方をするものが多いですが、これは正式な和訓が成立する前から使われている和訓だからだと思います。つまり、もともとそういう役職があって、それを当てはめたんですね。全部がそうではないでしょうが。
服部とかいて「はっとり」と読むのは、もともと「はたおり」部(べ)という職掌の人たちがいて、機織をしていたんですが、これが中国の官制を輸入したときに「服」部というのがあったので、むりやり「はたおりべ」と読んで、それが「はっとりべ」と音便化したわけですね。そいういう感じです。
縫殿といってすぐに思い浮かぶのは、佐治縫殿でしょう。
常山紀談という本に出てきます。
富田信高の家来で、
関が原のときに、富田が阿濃津城に立て篭もったときに、十六歳で参戦したそうで、信高君が弱気になって切腹するから介錯してといったときに、まだあきらめちゃダメよといって押しとどめたとか、その後大阪陣のときに後藤又兵衛の下で三十騎の将で一番首を上げたとか、浪人してるときに妻が強がったりしたとか、そういう逸話があります。
あとは、後藤縫殿助。後藤家は幕府の御用商人の呉服屋で、代々縫殿助です。六軒仲間筆頭ですね。大名並みの格式で、島津から養子を取ったりしてるんですが、さすがに町人ですから正式の官ではないと思いますw
てゆうか、呉服屋さんだからですね。こういう職掌の家が受領名をもらうっていうのはわりあいよくありました。お寺とかがくれます。
あと、グーグルさんによると、小原縫殿と村上縫殿が有名らしいですが、小原縫殿助は伊達政宗の弟の傳人ですね。弟が殺されたのを葬った後に切腹した人。村上縫殿という人については知りませんw
で、要するに縫殿というのは、時代小説とかを書くときとかに、適当に武士っぽい名前を付けたいときとかに便利な名前なんですが、昨日、蟲師を読んでて、そういえばギンコのお師匠さんは「ぬい」だったなと思い出しました。
この人
銀蟲(ぎんこ)という蟲のいる沼のそばに住んでて、そのせいで片目銀髪になっちゃったんですね。
それだけw
ところで、蟲と書いて「こ」と読むのは、巫蠱「ふこ」とか、蟲毒「こどく」とか、蟲術「こじゅつ」とか、そっち系の読み方ですが、なんで蟲で「こ」なんでしょうね? 呉音はジュウで漢音はチュウですよね? もちろん訓読みではないでしょうし、なに読みなんだかわかりません。