おひさしぶり。内政ばっかりで書くことないのでさぼってました♪
今日はお休みだったので、車で20分くらいのところにある牛久城に行ってきました。小田氏の一門衆の岡見氏のお城です。マイナーな一族なので、知名度はほとんどないですねw
牛久城は、何年か前に行ったことがあって、堀とかは大変面白かったんですが、郭が竹薮になってて、郭の中は昼なお暗く、郭の形すらわからないような状態だったのが残念でした。
ところが、こないだグーグルマップで航空写真を見ていたら、なんと、郭の竹薮が伐採されているようだったので、いろいろネットで調べてみたら、どうやら最近(2012年か13年?)になって竹薮が刈られていたみたいだったので、これはぜひ行ってみないとというわけで、今日行って来たのです。誰がやったのか知りませんが、グッジョブでした♪
より大きな地図で 牛久城 を表示
牛久城の位置は↑こちら。グーグルマップでつくってみました。ついでに惣構も書いてみましたので見てください♪
牛久沼に面した舌状台地の突端にお城の主要部分があります。ピンクで囲んだ部分が、だいたい台地の先端になりますね。で、台地の基部が高台につながってて、ぐるっと惣構になってるようです。ピンクのところは崖で、お城回りの道とか家との高低差(比高)は20mくらいあります。
異常に広い惣構は、1570年代に、佐竹氏と同盟した多賀谷氏が岡見氏を攻撃してきて、困った岡見氏が当時従属していた後北条氏に助けを求めて、後北条氏が「牛久番」を送ってくれていたそうなのですが、その人数を駐留させていたからかもしれません。(牛久番は、主に常陸南部、上総北部の国衆が来てたみたいです。で、記録には残ってないですが、小田原征伐のときに開城したっぽいです。)
とはいえ、惣構の方はそれほど面白い遺構も残ってないようだったので、中心部だけみてきました。
まずは、中心部の縄張りです。縄張り図を上手に書けないので、写真に書いてみましたw
なかなかいい感じ♪
郭Ⅰと郭Ⅱと帯郭ですね。この部分は、比高15mくらいの台地になっています。で、周りは今は水田になってますが、昔はどうやら水田の部分まで沼で、お城は沼に突き出した形だったようですね。
虎口D?のところから外に向かう矢印は、下り坂になっていて、船着場になっていたんじゃないかという話です。いちおう搦め手ということで。
今回は、大手の方から車で土橋Aの外(中城という地名が残ってます)まで来て、そこから主要部に入りました。まあ普通のルートですね。
まだ下草が枯れてないのでよくわかんないですが、けっこう良く残ってる掘です。
冬になったらもっかい行こうと思います。
土橋のたもとに看板が立ってますが、看板の右に行くと、堀底に下っていく通路になっているようです。
土橋の上から左手を見るとこんなです。だいぶ埋まってると思いますが、それでも堀の深さが4mくらい、土塁がさらにもってあるので、堀底からは6mくらいはありそうです。
反対に、右手(帯郭北面空掘)を見るとこんなです。帯郭北西部の角は、ちょっとふくらんでて、横矢になっているような、いないような?
特になんてことない虎口ですが、それなりに高さはあります。
虎口の左側(向かって右側)の土塁に人が上ったところ。
で、虎口Aを入ってすぐ左に、虎口Bがあります。郭Ⅱへの入り口です。
虎口Bの前で、後ろを向くと、帯郭の北部です。やっぱり画面右手奥のところが出っ張ってるような感じなので、横矢なんじゃないかな?
虎口Bから入ってすぐの郭Ⅱ。以前はぎっしりと竹藪だったので、広さもよくわからなかったんですが、こうして見るとかなり広いですね。北条さん関係の城っぽい感じがします。
郭Ⅱの西側土塁。ばらつきがありましたが、わりと高いです。高いところで3~4mでしょうか。
郭Ⅱの南はじから北方向を見る。右側の土塁が一部切れてますね。なにやら降りられそうな感じがしないでもなかったので、この郭の脱出路か船着場になるのかもしれません。
堀切の斜面に竹が生えてるので、ちょっと見通しが悪いです。
写真にはうまくとれなかったんですが、郭ⅡからⅠを見ると、なにやらⅡの方が高いようで、ちょっと変なかんじでした。郭の配置的にはどう見てもⅠが主郭なんですけどねえ?
というわけで、以上が郭Ⅱです。虎口Bからもう一度帯郭に戻ります。
で、先ほどから言ってた虎口Aへの帯郭からの横矢ですが、帯郭中央から北側を見るとこんなです。一番奥がちょっとでっぱってる感じがします。
横矢というのは、虎口を攻撃している敵に対して横から弓で攻撃できるポイントのことですね。ふくらんだ部分とか、折れてる部分です。
こんな感じ。↑このように、両側から横矢をかけるのを相横矢といいます。
攻撃側も矢を放って正面を攻撃しているとすると、左側からの攻撃に弱い(背中を向けてるから)ので、特に敵の左側(防御側から見て右手)から横矢をかけるのが一番よいとされています。敵の左側から攻撃できるポイントを、特に左袖と言います。
さて、帯郭から郭Ⅱの土塁を見上げるとこんなです。帯郭と郭Ⅱとは、そもそも2~3mの高低差があり、さらに郭Ⅱの縁に土塁を掻揚げてますので、けっこうな高さがあります。
帯郭中央部から南方向を見る。帯郭というのは、腰郭ともいいますが、細長い郭のことです。通路っぽく使います。あと、あたりまえですが、この場合ですと郭Ⅰ・Ⅱ方向には土塁をつくりません。帯郭に対して、郭Ⅰ・Ⅱから攻撃できるようにしておくわけですね。
郭Ⅱと郭Ⅰの間の堀切。ここには、木橋でもかかっていたんじゃないかという話もあります。橋の基部とかがあるわけではないですが、縄張り上そういうこともあったかなという気もしますね。
ちなみに、堀切というのは、台地とかの一部を横に堀で切って通行できなくするような堀のことです。
一方、郭Ⅰと帯郭の間にも空堀があります。こちらは台地を縦に切る堀ですから、堀切とはいいません。
同じく、堀底から見た様子。
こっちの堀のほうがゆるいですね。崩れたからかもしれませんが、たぶんもともと堀切のほうが深さがあったんだと思います。
で、堀を掘った土を掻揚げて土塁をつくります。
堀底から郭Ⅰの土塁を見上げたところ。
さて、帯郭の出口です。これもいちおう虎口なんだと思います。
左側は郭Ⅰの堀になってますから、片側だけの虎口ですが。
もっとも、ここは外に枡形状の空間のようなものがあるような気もします。
すごい低い土塁があります。
枡形というほどのものではないですが、外側にちょっとした土塁があるので、いちおう外枡形のようにして使えるっぽい気がします。
枡形というのは、要するに二重になってる虎口のことですね。
で、虎口Dのさらに外の小さい土塁から、下に下っていける道があります。
搦め手っぽいといえばいえなくもない。
さて、郭Ⅰの堀にそって南下すると、最後に郭Ⅰに至る土橋があります。
土橋をわたった先に、郭Ⅰの虎口Cです。登り坂になった虎口で、途中で折れも入っているので、虎口A・Bと比べて頑丈な虎口ですね♪
ただ、虎口の土塁はかなり低いです。
で、例によって、土橋を渡っている敵に横矢をかけられるポイントがあるような、ないようなw
写真ではよくわからないですが、いちおう、虎口に対して右側に張り出している場所があるっぽい気がします。
郭Ⅰの南端。
これは上から見下ろしたところで、「切岸すげー」と写真を取ってきたんですが、あとから調べたところ、どうも郭Ⅰの南端は後世になって一部壊されているということのようです。
ちなみに、真下に家が建ってますw
竹が生い茂ってるので、崩れたりはしないんでしょうが、けっこう怖いですね。
郭Ⅰの西側土塁。郭Ⅰの土塁は、Ⅱに比べてだいぶ低いです。西側に関していえば、堀があるので、土塁が低いにもかかわらず、堀底からはけっこう高いです。
南側も土塁がないですが、後世に崩されたというなら、土塁が残ってるわけないですね。
ただまあ、郭Ⅰは舌状台地の先端なので、比高10~15mの壁になっているので、南側に関して言えば、別に土塁なしでもかまわないですね。
もう一点不思議だったのは、郭Ⅱの方がちょっと高いっぽいということです。郭Ⅰ北側には土塁なしで、郭Ⅱ南側には土塁があるので、あるいはそのせいかもしれないですが、Ⅰが主郭だとしたらおかしな感じです。どうなんでしょうね。
ちなみに、Ⅰの北側は、土塁が崩れたんじゃなくて、最初からなかったっぽい。
前に来たときは、バンブージャングルでいまいち全体像がつかめなかったんですが、今回は郭の竹が切ってあって、縄張りがとてもよくわかりました♪
てなかんじ。
今日はお城に行って、帰ってきてからこれを書いてたので、2日目合戦まるさぼりでした。
というわけで、またね♪