合戦ですね。あしたは休みなので、ちょっとがんばろうかとも思いますが、お掃除しないといけないのでどうなるかわかりませんw

関係ないですけど、IXAのトップの秀吉バージョン
ひとはただ

これは、畠山高政の家来の三木牛之介という豪傑が、五尺の鍬形の兜をかぶってたということですが、その鍬形に、

「運在天 見敵無退」(運は天にあり、敵を見て退くことなし)
「人は只さし出ぬこそよかりけれ軍にだにも先がけをせば」

と書いてあったそうです。

で、その話を誰かが秀吉にしたところ、

歌の趣意よろしからず。吾ならば、
人はたださし出づるこそよかりけれ軍の時も先がけをして
とよむべき物を、

といったとさ、という話があって、わたしは常山紀談で見て(巻十一「三木牛之介鍬形の詩歌の事」)、そう思ってたんですが、さっきちょっとネットで調べたら、ビジネス系の名言集みたいなのでは、秀吉をでしゃばりめと思ってた同僚が、上記の歌(ちょっと違う)を詠んで、それに対して秀吉が返歌をしたという話になってるようですが、なにが出典なのかはわかりません。たぶん常山紀談の話を適当に誰かが翻案したんでしょうが。まあ、いかにも秀吉が言いそうなことではあります。しかしながら、信長が生きていたころは、功を主と争わないというような保身も心得ていた人ですから、単純に前に前にというだけの人ではないですけどね。

ちょっとずれますが、家康の話でこんなのがあります。
井伊掃部頭(直政)の家来が、大阪の陣のときに三人がかりで一人の敵を討ったことがあって、直政もそれを吟味して、三人相討ちと決まったのですが、三人のうちの一人が不服を申し立ててるので、直政が家康のおとぎ衆にどうしたらいいでしょうと聞いてちょうだいなとたのんだそうです。家康はそれには答えず、
「惣じて物ことに余計といふことなく、切りつめたるごとくなるは宜しからず。就中武辺などの義は余計の有候がよきなり。」(一般に、物事に余裕がなくきちきちなのはよくない。武辺については特にそうで、余裕があるのがいいのだよ。)
といって、こんな話をした。
「織田信長いまだ小身の節、佐々成政と前田利長(ママ)と両人にて敵一人をつき倒し、成政、利長に向ひ、その方敵を追つき倒されたる義なれば、首上られ候へ、となり。利長、我らは敵を突倒したるといふ迄にて、槍あはせの義は御自分なれば、首をその方あげられよ、と互に辞退仕り候ところへ、柴田権六も馳つき、左やうに両人辞退の首ならば、中にて我申請べし、とて首を上げ、我ら高名の証拠のため両人にも来り被申よ、とて、三人同道にて信長の前へ出て権六申候は、この両人にて敵を突倒し、首をとれ取まじきとて、吟味合候所へ参りかかり、首を某とりて参候、と申候へば、信長公御聞なされ、三人とも大に賞美いたされ候よしなり。右三人ともに武辺に余計あるゆゑなり、と仰られ候なり。」(常山紀談拾遺巻之一、家康公駿府にて相討ち御吟味の事)

信長が小身のときなら、利長ということはないでしょうから利家だと思いますが、それはともかく、家康が即興で作った話かもしれないですねw
でも、やられる方としては、どうでもいいから早くしてくれという気分だったんじゃないかな。同情しますね。

それはともかく。まあ、わたしもどっちかというと、武辺などの義は余計の有候がよきと存知候ですので、先着とかあんまり細かいことはいわないのがいいかなと思います。

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