今日はちょっと、中学生時代の思い出話で、最近悪名高い自分語りってやつですか?そういうの嫌いな方にはおもしろくない話ですので、あらかじめお断りしておきます。
こないだ、「わたしがおおかみになっても」っていうエントリーで、「自分の本性を隠さなきゃいけないとか思うのって、ぜんぜん意味がわかんない」っていうようなことを書いたんですけど、長い間そういうふうにやってきたから、最初からそんなふうに思ってたような気になってたけど、「Aさんからの頼まれごと」を書いてる時、ふと、わたしも中学生くらいの頃には、「隠さなきゃ」って思ってたことがないわけでもなかったなあ、と思い出しましたので、その話を書きます。
実はわたしは、たぶん小学校の6年生くらいからだと思うんですが、ひそかにAさんにあこがれてたんですね。前に出てきた、うちの斜め裏のMさんもそうですけど、どうも、あこがれてる女の子に対しては、苗字に「さん」付けになってしまうようです。といっても、この二人だけですけど。(男に対しては別に決まりはありません。)
Mさんは、南野陽子風(当時)の美少女で、白くて、細くて、性格が良くも悪くも女の子らしくて、わたしとは正反対のタイプの子だったから、わたしがあこがれるのもわかるんですけど、なんでわたしがAさんにあこがれてたのかはよくわかりません。もしかしたら、お習字が上手だったからとか、そんな理由かもしれませんし、やさしくしてもらってきゅんきゅんしたとかいうエピソードがあったのかもしれませんが忘れちゃいました。なにぶん最初は小学生だったころのことですから。(顔はMさんのがよかったですが、性格はだんぜんAさんのがよかったですw)
Aさんは、お習字が上手で、スポ少でバスケをやってて、そのまま中学でもバスケ部で、でもバスケ部だからって背は高くなくて、でも俊敏というわけでもなくって、だからバスケ選手としてはいまいちで、あと、どっちかというと活発な方で、それほど女の子っぽいというわけでもなくて、その辺もMさんとは違います。で、わたしは、中2でAさんとおんなじクラスになってからは、どうもAさんがいちばん好きだったような気がします。
Mさんは美少女だったので、中学に入ってからは、男の子からわりとモテてたんですけど、それがなんだかアホみたいな男の子とばっかりつきあってて、それで、アホみたいな子が好きなのかなーと思って、幻滅したっていうような感じでした。でもまあ、今になって思うと、中学生男子なんて、アホみたいな子じゃないと、女の子に好きとか言ったりできないので、彼女としても選択の余地がなかったのかもしれません。けど、高校でも結局、野球部のピッチャーやってたアホみたいな猿(あだ名)と付きあってたから、やっぱりMさんはアホっぽいのが好きだったのかもしれない。もしくは、美少女だったから、アホみたいなのに好かれやすかったのか。
というわけで、Mさんについては、ちょっとあこがれてましたけど、中学生になると、それほど想いを募らせることもなく、たまに気付かない振りして、男の子と一緒に帰ってるところにおじゃま虫して、「こいつ邪魔だなあ」って2人に思われてるのを感じて、「・・・快感」って思ったりして、前に出てきたYちゃんには「悪趣味ださげやめれ」って言われたりしてたんですけど、Aさんについては、もうちょっとすすんで、けっこう好きって思ってました。でも、なんで好きだったのかは謎で、やっぱり本当にAさんが好きだったというよりは、恋に恋するお年頃だったんだろうと思います。
ちょうど中学生のころって、自分の趣味とか考えとかが出てくる頃じゃないですか。それで、わたしは○○が好きとか、××は嫌いとか、友達とそういう話をして、お互いに影響したりされたりしながら、だんだんと自分の趣味がはっきりしてくるわけですよね。わたしはわりあい、いろんな人に、「おもしぇ本あったら貸して」って言って、男子からも女子からもいろいろ借りて読んでて、で、返すときに、おもしろかったこととか、つまらなかったこととか、へんだったこととか、むかついたこととか、滔々と論じるっていう芸ができたので、一部の人にはおもしろがられていました。で、あるとき、Aさんから、新井素子の「・・・絶句」っていう本(なつかしーw)を借りて読んだことがあるんですが、わたしはそのころすでに本格SF的な道を歩きはじめていて、いろんな意味で、新井素子はかなりきつかったんですが、なんとかぜんぶ読んで、「おもしぇっげよ」とか言って返したんですね。
そしたら、それを見ていたトムっていう子が、あとでお掃除の時間に、
「ぬい、なしてAどご嫌いだな?」(なんでAのこと嫌いなの?)
って怒りながら詰め寄ってきて、わたしは、「えっ!?」ってびっくりして、硬直しちゃったんだけど、トムは、わたしがAさんに対してだけよそよそしくしてて、思ってることをぜんぜん言わないから、嫌いなんだろうっていうんですね。
トム(もちろんあだ名)は、Aさんの幼馴染なんですが、わたしともブラバンで一緒の子で、彼女はクラリネットだったんですが、年子のお兄ちゃんがいて、わたしの「北斗の拳」の師匠で、天パがきつかったからいつもベリーショートの刈上げで、性格はちょっと天然でしたけど、おもしろくて、はきはきしてて、わたしとはいちばん馬が合う感じで、かなり仲良しでした。天然っていうのは、うちの妹にうそを教えた痔の人に、やっぱりトムもだまされて、自分のお兄ちゃんに、痔になったかって聞いたことがあるということです。
で、わたしは思いがけずトムにそんなことを言われて、びっくりして固まってたんですが、それというのも、トムは他の人の人間関係とかについてあんまり関心がなくて、そういうことをぜんぜんいわない子だったからです。でも、Aさんはトムの幼馴染だったから、特別だったんでしょうね。
それで、
「嫌いだわげねーろ。なに言ってんなやー。」って言ったら、
「したら、ぬい、新井素子おもしぇぐねって、ずっと言ってたな、なしてAさ言わねがったな?」(じゃあ、ぬいは、新井素子が面白くないって、ずっと言ってたのに、どうしてAに言わなかったの?)
って言われた。
実はその前日に、トムに対して1時間くらい、「・・・絶句」について、内容は忘れましたけど、微に入り細に入り文句を言ってて、トムはそれをおもしろがって聞いてたのでした。
で、わたしがそれに答えられないで固まっていたら、一緒にお掃除当番をやってたびんこちゃんが話に入ってきて、
「わり。聞こえったもんださけ。トム、ぬいはAが好ぎださげ言わいねな。見ででわがんねな?」(ごめん。聞こえちゃったものだから。トム、ぬいはAが好きだから言えないの。見ててわかんないの?)
って言いました。で、わたしにむかって、
「ぬい、Aが好ぎだもんのー♡」(ぬいはAが好きだもんねー♡)って言うのです。
わたしはびっくりして、
「そんな、だって、みんな、みんなだって、Aさん好ぎだろ!?」(みんなだって、Aさん好きでしょ?)
って言ったのですが、びんこちゃんは、訳知りのお姉さんっぽく、
「そういう好ぎでねぐって、おめは、Aどご一番好ぎだんでろ?おれどAど、どっちゃ好ぎだ?」(そういう好きじゃなくて、あんたは、Aが一番好きなんでしょ?わたしとAとどっちが好き?)
って言われて、わたしは顔が真っ赤になって、ついでにトムもびっくりして硬直しちゃって、女子力(そういう言葉はありませんでしたが)が高い子っていうのは恐ろしいものだなと、つくづく思いました。
で、びんこちゃんが言うには、わたしがAさんに対してきょどってる(そんな言葉もありませんでしたが)っていうのは、女の子たちの間では有名な話で、気付いてないのは、わたしと、トムと、本人のAさんぐらいのものだって言ってました。(Aさんも女子力低めだったんですね。)
というわけで、びんこちゃんは簡単に、「好きだから思ってることを言えないんだ」って言ってて、女の子的知恵としては、それは当たり前のことっぽいんですが、つまりこういうことだと思います。
Aさんは新井素子がおもしろいと思って、それでわたしにすすめたわけですが、わたしがそれをつまんないっていったとすると、それは単に新井素子がつまんないってことだけじゃなくて、Aさんの好意を否定することになるかもしれないし、おもしろいと思ってるAさんの人格を否定することになるかもしれない。もっともふつうは、「おすすめしてくれてありがとう、でも、わたしにはおもしろくなかったよ」って言えばすむ話なんだけど、恋してる人(好かれたいと思ってる人)は、それくらいの「違い」を認めるのも怖い、もしくは、認めたくないって思うものだというようなことを、わたしはびんこちゃんの教えから学んだのでした。
というわけで、中学くらいまでだと、まだわたしも、「わたしがわたしであると主張すると、受け入れられないかもしれなくて怖い」とか思っていないでもなかったようなんですが、これはこの頃までのことで、高校生になってからは、誰に対しても、ぜんぜんそういうことは思わないようになっていきました。たぶん、自我が確立したんでしょうね。
だから雪ちゃんも、高校生くらいになったら、自分がおおかみだってことに、コンプレックスを感じなくなれたらいいなって思います。