くまは、けもけも獣(剛)です。ケモケモジュウカッコゴウと読むべし。けもけも獣(剛)というのは、毛が生えているもの(つまりけもの)で、しかも剛毛だということです。

祝詞なんかでは、けのあらもの(荒物)・けのにこもの(和物)と言います。一応、毛がかたいかやらかいかの違いです。くまは毛の荒物の一種です。というか、毛の荒物といえばくまでしょう。猪といい勝負です。でもたぶんくまのが強いです。オッコトヌシ様には負けるかもしれませんが。

くまぶしもわりと毛のあらものです。(今では。)

くまぶしの友達に、シェルティーのモモというのがいますが、これはけもけも獣(柔)で、けのにこものです。やらかいです。そして、飼われものです。かわいいですが、情けないやつです。

  ↓ばかまるだしのモモ
060505_1332~001荒いというのは、硬いということですが、硬いから手に負えないという意味でもあります。

荒ぶる神というのは、乱暴をする神様のことですが、風土記なんかだと、荒ぶる神というのは、交通の要衝を占拠して、通りがかる人の半分を殺したりします。こわいです。もうすこし新しいのだと、天神様なんかも荒ぶりました。おおあばれです。

荒蝦夷(あらえみし)というのが日本紀(後ろの方)にでてきますが、これは大和朝廷に貢ぎものをもってこない蝦夷という意味みたいです(使者が言ったと書いてありますが、やまとの人に媚びたんじゃないかと思います)。当然、大和の側からみて「荒」というわけです。それをいうなら蝦夷もそうですが。自称ではなかったと思います。服属してる蝦夷を和(にぎ)蝦夷と呼んでます。和蝦夷は毎年みつぎものをもって挨拶に来るわけです。荒蝦夷は、あべのぴらふとかにやっつけられてもういないかと思ったら、まだいるみたいでした。ホームページ作ってました。かっこいいです。もっとあらぶってほしいです。荒蝦夷のホームページ

荒の反対の和(にき・にこ)は、やらかいという意味です。にきしね(和稲)は脱穀した米で、あらしね(荒稲)はモミがついたままの米です。この場合、まずは食えるか食えないかの違いです。食えるのが和で食えないのが荒です。けど、和稲を田んぼにまいてもだめで、あたりまえですが、荒稲じゃないと育ちません。この場合は、生きてるのが荒で死んでるのが和だといえます

さて、以上は前置きです。

なにがいいたいのかというと、まず、くまは毛の荒ものですが、単に毛が硬いというだけじゃなくて、本質的に荒ぶるものだということです。毛が荒いというのは象徴です。くまの本質を端的に表現しているのです。なめんなよ。熊牧場でくれくれポーズをしているのは世を忍ぶ仮の姿です。
くま出没注意です。気を抜いたらくま食いするぶし。

くまぶしがまだ白熊だったころ。(今は茶色でもっと大きい。)
060922_2120~001それから、もうひとつここで主張しておきたいことは、人間の赤子はくまであるということです。確かに、赤子はけもけも獣ではありませんし、どっちかというと(柔)な生き物なので、にこもの(和物)かと思いがちです。しかし、彼らは荒ぶるものです。まだ脱穀してないということです。

つまり、赤子もくまも、荒ぶるものだということなんですが、くまの本質は荒ぶるもので、赤子の本質も荒ぶるものだから、便利のために赤子はくまであるといっているのです。

くまぶしくまですから、くま的視点からすると、荒ぶるというのはくま的ということです。和というのは人間的ということです。わかりましたか?その意味で、赤子は人であるというよりはくまなのです。

スサノヲという神様がいますが、彼はKING OF 荒ぶる神です。だから彼は偉大なくまです。そして、彼がまずやったことは、「なきわめく」ということでした。そのなきわめきは尋常じゃなくて、そのせいで、水は干上がり、山は枯れ山になるほど泣きました。それから、田んぼの畦を破壊したり、お祭りのための御殿の中でうんちしたりしました。赤ん坊もよくそういうことをします。ノイローゼになるお母さんもいます。

スサノヲは赤ん坊みたいだというのは正確な言い方ではありません。赤ん坊がスサノヲみたいなのです。順番が大事です。もっとも、くまぶしから言わせてもらえば、スサノヲはくま的で、赤ん坊もくま的なのです。くまの視点からすると、これが一番正確な言い方になります。

今日はいっぱい書いたぶし。おつかれさまでした。それではごきげんよう。あらぶるくまぶし
Apr. 13, 2008
永遠回帰のくまぶし2008目次

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