昨日、かっぱと、デイ アフター トゥモローを見ました。これは、土曜日にテレビでやってたのですが、かっぱが木賃宿で夜勤だったので、ビデオにとっておいたのです。

この映画は、ひとことで言うと、地球温暖化のせいで極地の氷が溶けて、海の塩分濃度が変わって、それで海流が流れなくなって、すごい寒くなって、人がたくさんスノーマンになって死ぬ話です。

kumastormくまぶしは、超巨大竜巻がLAで大暴れして、車を飛ばしたりビルを倒したりしたところと、NYが津波に襲われるところが、すごいと思いました。あと、宇宙(スペースシャトル)から見た巨大嵐がかっこよかったです。絵を描きました。くまぶしとかっぱも飛ばされています。

この巨大嵐が、北半球に三つあらわれて、それぞれ南下していって、北半球の中緯度以上がほぼ全滅するのです。どうして嵐くらいで壊滅してしまうのかというと、その嵐の中心の気温が-100℃なので、嵐が通ったところにあるものは、一瞬でぴきぴきと凍ってしまうからでした。飛んでいるヘリコプターも凍ります。生きている人も凍ります。

でも、嵐のまんなかだけ-100℃というのは、ちょっとうそ臭い感じがしました。あと、どうでもいいことですが、映画の邦題をつけないで、カタカナで書くのはやめてほしいです。デイアフタートゥモローだと読みにくいし、デイ アフター トゥモローだと間が抜けています。デイ・アフター・トゥモローとナカグロで書くしかないですが、合成語みたいでちょっと変です。

かっぱはこういう話が大好きです。つまり、大破壊が大好きなのです。かっぱは不謹慎なので、大笑いしながらみます。ムスカみたいです。くまぶしは、かっぱほど不謹慎じゃないので、すごいなあとは思いますが、ふつうに怖いなあと思います。

もっとも、かっぱにとっては、こういう大破壊はヒエロファニーなのです。つまり、神さまっぽいものが大あばれする働きというわけです。実際、ルドラとかシヴァとかスサノヲなどは、暴風の神さまです。ちなみに、こういう力としての聖なるもののあらわれを、特にクラトファニーといいます。

かっぱにとって、逆説的ですが、大破壊はすごい創造的なことなのです。これは、創造的というのを、力があふれているかいないかで判断するからです。かっぱによると、ものができることは確かに創造的ですが、できあがってしまったなら、それは非創造的状態になってしまったことなのです。それで、今度は非創造的状態(モナド)が破壊されることが、創造的なことになるわけです。

くまぶしはかっぱを、すごい悪魔的と思いますが、かっぱは自分のことを、天使的と思っているみたいです。

かっぱの座右の銘です。
悲劇的な者たちが沈んでゆくのをみる。そして深い理解、感動、共感を覚えるのにもかかわらず、彼らを笑いとばすことができる。これは神的なことなのだ。(ニーチェ)
may 21, 2008
永遠回帰のくまぶし2008目次

4 Comments on 31.デイ・アフター・トゥモロウを見たぶし

  1. ラストのニーチェの言葉
    まさに自分を神に例えないといえない言葉じゃんw
    かっぱさんかっこええなぁw

    • ニーチェ
      たーさんこんばんは。かっぱは別にかっこよくないです。どっちかというと滑稽だぶしね。でも、破壊的ではあります。くまぶしも最初はだいぶ苦労しました。

      ニーチェは実際、「結局、私は神であるよりは、はるかにバーゼル大学教授でありたいのです。」といってます。大変ですね。(これは倒れた後に書いた手紙です。)
      また、別のところでは、「それにしてもまだ何と多くの新しい神々が可能であることか! この私の中では宗教的な本能、つまり神々を創造する本能が、しばしば都合の悪いときに燃え立ったりするのだが、そのたびごとに私は何と多様な仕方で神的なものの啓示を受けたことか!」とも書いてます(これは力への意志です。)
      ニーチェが見たり、なったりする神さまというのは、上で書いた「コスモゴニー」の神さまですね。世界を維持する(秩序を維持する)神さまではないと思います。
      こういう神さまは「自己同一性」をもっていません。だから、「何と多くの新しい神々が可能であることか!」ということになるんだと思います。ぶし。

  2. かっぱさんは大佐ですね
    「創造」と「破壊」

    「破壊」と「創造」

    色々な作品でありますね。
    ラピュタでも、ムスカが一旦世界を破壊して・・・
    みたいな感じだったから、
    確かにかっぱさんはムスカっぽいですね。

    • コスモス
      猫ぎいちゃんさん、こんにちは。
      そのうち書こうと思ってるんですが、世界(コスモス)と聖なるものの関係は、大体三つに分けられると思います。

      一つ目は、コスモス(秩序)とカオスをわけて、コスモスにおいてヒエロファニーを体験する立場です。たこ博士はこの立場で、要するにコスモロジーっぽい見方です。

      二つ目は、重点の置き方が違うのですが、世界創造(コスモゴニー)においてヒエロファニーを体験する立場です。かっぱはこれです。この場合は、完成したコスモスは、コスモスができる運動の終了を意味するわけです。だから、完成したコスモスがずっと続くくらいなら、壊してしまえとなります。こちらはコスモゴニー的見方です。

      三つ目は、コスモス自体をマーヤー(夢)のようなものとみなす立場です。つまりロバ先生です。ニルヴァーナ的な見方ですね。神秘主義的です。

      くまぶし自身は、もともとは、どちらかというとかっぱ的立場だと思うのですが、かっぱと比べると、断然たこ博士の立場に近くなると思います。

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