こんばんは。暑い日が続きますね。みなさんげんきですか。くまぶしはちょっとばててます。こないだたたりの話を書いてから、またさぼってました。さぼり癖がついたみたいです。えへ。さぼってなにしていたかというと、まず、宮部みゆきの楽園を読みました。それから、蒲生邸事件も読みました。それから、バイオハザード4を2回クリアしました。それから、鋼の錬金術師のアニメを全部見ました。
とはいえ、さぼってばかりいたわけではありません。ちょっと込み入ったことを書こうと思ったので、なかなかうまく書けなかったわけでもあるのだくま。けれど、いいかげん書かなきゃとおもったので、あんまりまとまってないですが、書いてみます。今日はこないだのつづきで、御霊会の話です。

御霊会というのは、今の祇園祭の祖先みたいなお祭りです。平安時代に京都ではやりました。民間信仰からでてきたものですが、有名なのは日本三代実録という歴史の本に書いてある貞観五年五月二十日の神泉苑御霊会です。神泉苑というのは、京都にあるお庭です。神泉苑御霊会は、朝廷が主催したものですが、一般の人の見学も許されていたので、官民合同開催に近かったんじゃないかと思います。あまり詳しい話をしてもつまらないだろうと思うので、簡単に書きます。史料が手元にないので、けっこう適当です。疑わしいと思った人は、自分で調べてみてください。

御霊会というのは、具体的には、御霊(ごりょう)という神さまみたいなものに対するお祭です。御霊というのは、疫病をはやらせて人を殺すこわい霊です。一般的には、事件とかで死んだ偉い人が御霊になって祟りをするのだと説明されています。そうした説明の根拠は、神泉苑御霊会についての三代実録の記事です。神泉苑の御霊会で祭られたのは、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人観察使、橘逸勢、文屋宮田麻呂だと三代実録には書いてあります。三代実録では、これらの人たちは、「事件に連座して誅せられた人たちで、冤魂がたたりをなした」と説明されてます。

もっとも、このように御霊の正体を決定しようとするのは、朝廷の態度です。民間信仰としての御霊会では、御霊はもっと漠然とした「神さまみたいなもの」と考えられていたみたいです。例えば、道祖神みたいな男女一対の木像が、岐(ふなど)の神とか御霊と呼ばれた(本朝世紀天慶元年)とあります。ふなどの神というのは、境の神さまで、塞の神(さえのかみ)のことです。道祖神には、いわゆる「神格」みたいな個性はないのが普通です。また、ちょっと時代がさがるのですが、船岡山の御霊会は、御霊のお神輿を担いで町中を練り歩いてから、お神輿を海にむかって流すという、今でも農村でやってる虫送りと似たような形式をとっています。船岡山の御霊会では、虫送りの虫みたいに、なにかよくわからないものを御霊としてお祭りしているようです。つまり、民間信仰としての御霊会においては、「御霊」という名前があるだけで十分だったのだろうと思います。

御霊会は、疫病がはやったときに、みんなであつまって、競馬をしたり騎射をしたり相撲をとったり歌ったり踊ったりするお祭りです。もっとも、神泉苑の御霊会は、朝廷が主催したものなので、当時の朝廷の疫病対策である読経(金光明経と般若心経)がメインみたいです。もちろん、御霊会である以上は、競馬とか相撲とか歌舞は欠かせなかったみたいで、神泉園の御霊会でも、ちょっと上品にですが、ちゃんとやっています。(貴族の子弟が雅楽をやったりしたと書いてあります。)

さて、こうしたいわゆる「お祭」的要素は、一般には、御霊の心を慰めて、疫病をばらまくのをやめてもらうためにするのだと解釈されています。つまり、御霊会をやっていた人たちは、疫病が怖くて、そうした疫病を起こす御霊に、そういうことはやめておくれやすとお願いするために御霊会をしたと理解されているわけです。

これは、まあ、理解しやすい説明ではあるし、実際、三代実録にはそのように書いてあるわけですから、間違いではないのでしょうが、くまぶしはちょっと、こうした解釈をそのまま受け入れることに違和感を感じます。

たとえば、それなら御霊会をやっていた人たちは、本当はお祭なんかしたくなかったけれど、しょうがないからしていただけなのか?と意地悪に反問してみます。くまぶしは、注射されるのが嫌いですが、病気になったときにはしょうがないのでお医者に行って注射をしてもらいます。これは、いやいやするわけです。御霊会もそういういやいやするお祭だったのでしょうか。もしくは、人がたくさん死んだりして、本当は歌舞音曲にうつつを抜かしている場合じゃないはずなのに、神さまの心を慰めるために、楽しいふりをしてお祭していただけなのか?と問うてみます。たとえば、やくざさんがお店にやってきて、場所代を払えといって騒ぎます。他のお客さんに迷惑なので、しょうがないのでお金を包んで、よろしくお願いしますといいます。ぶーたれてたらまずいので、顔で笑って心で泣きます。御霊も、やくざさんみたいに、いやがらせをするだけのものだったのでしょうか。

くまぶしも、もちろん、「疫病をはやらせないでくれとたのむ気持ち」がなかった、と主張したいわけではありません。そりゃ疫病はない方がいいに決まってますし、やなことなので、疫病をばらまいている人がいるのなら、そんなことはやめてくれとたのむのは普通のことだろうと思います。

ただ、一般に、御霊信仰の話がされるときには、「昔の人は疫病に対して無力だったから、ただ怯えているしかなかった。それで、自分たちではどうしようもなかったから、神頼みをして疫病がなくなるようにお祈りしていたのだ」というような前提にたって話をすることが多いように思われます。くまぶしは、たしか歴史の本だったと思うのですが、「たたりにおびえていた人々」という見出しを見たことがあります。

それで、くまぶしが、そういう普通の見方に対して違和感を感じるのは、疫病が怖い怖いといっておびえている人間という人間論と、疫病が発生した時に、御霊会をするぞといってお祭り騒ぎをする人間という人間論とが、相容れないように感じるからです。それで、普通の見方の場合は、疫病がこわいとか、いやだという感じ方の方が理解しやすいから、前者の人間論だけを採用して、結果的に、御霊会を、いやなことを回避するための単なる方法のようなものにしてしまうのだと思います。

別のいい方をすると、今の人が御霊信仰について考えるときに問題なのは、「疫病こそがいちばん大事な問題だったはずだ」と考えてしまうところだと思います。これは、いいかえると、人間の生き死にが、人間にとって一番大事な問題だという、ヒューマニスティックな視点からしかものを見れないことだと思います。

一方、前回書いたように、くまぶしはたたりを、「神さまがはっきりとあらわれること」と理解しています。それで、昔の人にとっては、疫病が御霊のたたりだったとわかるということは、疫病を、人間にとっての意味、つまり、単に「人に害をなすもの」としてだけじゃなくて、それ自体が「神さまの出現だ」と理解できるようになることです。つまり、疫病についての見方が、人間中心の見方から、神さま(疫病)中心の見方に変わるということです。

このように、人間中心の視点から抜け出ることができるということは、変な言い方ですが、一種の救済といってもよいものだと思います。もちろん、人間中心から神さま中心になるといったところで、その後、彼にとって、自分の生き死にがどうでもいいことになってしまうわけではありません。つまり、人間的視点がなくなってしまうというわけではありません。
ただ、お祭りをしている間は、そういったみみっちい問題が、もはや重要じゃない世界に行くことができるというだけのことです。

長くなったので、今日はもうやめます。それではおやすみなさい。くま。
jul. 22, 2008
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