こんばんはくまぶしです。

最近むし暑いので、アトピーがかゆかゆで、なにもできません。
かゆくてよく寝れないので、だらだらしてます。今日はかっぱとランボーを見ました。

ロバ先生じゃないですが、最初のランボーはやっぱりおもしろいですね。

20080523001721ランボーは、最初の方では、「俺にかまうな」とかいって、山の中で野生動物として暮らしたいみたいなことを言いますが、それは嘘です。どうしてかというと、州兵に砲撃されて、みんながランボーが死んだと思った後に、わざわざ武器を奪っておおあばれをしだすからです。野生動物として生きたいなら、死んだふりをして黙っていればいいわけです。てゆうか、最初から暴れなければいいわけです。

結局、保安官たちにかまってもらいたかったんだろうと思います。バガボンドで、佐々木小次郎と切りあったなんとかさんが、「俺たちは、抱きしめあう代わりに斬りあうんだな」とか言ってたきもちです。

ディープブルーのサメは、たぶん、本当に「俺にかまうな」と思っていたと思いますが、ランボーは、撃ち合いをするときとてもうれしそうです。ガソリンスタンドだって、合理的に考えれば、別に爆破する必要はなかったんだと思います。俺はここにいるぞということだと思います。で、ランボーが生きていたと知ったときの保安官の顔もまた嬉しそうです。たぶん、「俺に殺されるために生きていてくれたんだな」と思ったのでしょう。

要するに、「野獣死すべし」と同じで、撃ち合いにおいて、生き生きすることを体験してしまったから、撃ち合いをしない世界では生き生きできなくなってしまったわけです。「野獣死すべし」もおもしろいですが、ちょっと理知的すぎというか、優作がしゃべりすぎです。まあ、そこが面白いんですが。その点、ランボーはほとんどしゃべらないのでいいです。

松田優作がカメラマンだったのに対して、ランボーは実際に撃ち合いをしていた人だったから、その点では、優作は「野獣にあこがれた人」で、ランボーは「野獣」なのでしょう。もっとも、「野獣」とはいいますが、本当の野生動物ではありません。くまぶしは、クエポニ族の一種だと思います。日本でも、戦国時代の侍なんかには、わりあい沢山います。かっぱもニーチェもクエポニ族ですが、ランボーとかは、肉体派のクエポニ族ですね。

ともかく、グリーンベレーの上官がやってきて、「おびえていただけなんだよね、一緒に森へ帰ろう。」と言って、南の森へ戻って、次作以降は南の森で大暴れすることになるわけです。人材の有効利用だぶしね。一般に、近代社会はクエポニ族を嫌います。近代社会はモナド存在論で成り立っているからです。それで、武器というのは、暴力的クエポニ族のコミュニケーションツールなので、廃刀令とか出して禁止するわけです。国家が一つのモナドである以上、外部に対して力を発揮するのは構わないのですが、内部でクエポニをやられるのは迷惑なわけです。その点では、アメリカが銃社会というのは、近代国家的ではありません。アメリカはリベラリズムなので、たぶんそのせいでしょう。

もっとも、アメリカで銃を持とうという人たちの主張も、基本的にはモナド存在論で、クエポニ的ではありません。要するに、おれの家に入ってくる奴は撃つというのが建前です。個人としてのインディペンデントの象徴なわけです。クエポニ族というのは、わりと貴族だから、アメリカ的ではないのです。

しかしながら、実際のところは、そう簡単ではないみたいです。ただ、そういうクエポニは、自爆テロと似ていて、痛ましい感じがします。本当のクエポニ族は、もっとあっけらかんとしていると思います。
may 22, 2008

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