官職を持っている(自称している)人の個人名の書き方について、「苗字+官職+名前」という表記、つまり、
「島課長耕作」とか「羽柴筑前守秀吉」とかいう表記って、なんか変じゃないですか?
というシリーズの最終回です。
「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の1
「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の2
前回は、大鏡とか栄花物語での表記と、「古文書時代鑑」という本から鎌倉~江戸時代までの文書での表記についてみてみましたが、「苗字+官職+名前」という表記は一般的ではありませんでした。ただ、「古文書時代鑑」に載っている文書は、歴史上の有名人の筆跡をみるという目的で集められているものなので、名乗りについては、自分で書いたものであるか、手紙などで相手に呼びかける体のものが多く、だいたい予想はしていましたが、やっぱり「島課長耕作」式の表記はありませんでした。
「島課長耕作」式の表記は、軍記物的なジャンルでは、平家物語や吾妻鏡あたりから見られ、太平記あたりになるとたくさん見られるようになるのですが、その元ネタは、武士が使っていた苗字+排行名(「太郎」「次郎」「三郎」など、生まれた順に基づく通称)という表記法にあるんじゃないかと思います。
平家物語では、
- 橋内左衛門尉季保
- 宇都宮左衛門朝綱
- 多田蔵人行綱
- 高橋判官長綱
- 新藤左衛門高直
等、苗字+官職+名の例がないわけではないですが、官職を持っている人は、
- 前右兵衛権佐源頼朝(佐殿・鎌倉殿)
- 新中納言知盛
- 本三位中将重衡
- 新三位中将資盛
- 左中将清経
- 修理大夫経盛
- 皇后宮亮経政
- 少将有盛
- 丹後侍従忠房
- 備中守師盛
- 能登守教経
- 左馬頭行盛
- 薩摩守忠度
- 平大納言時忠(へいだいなごん)
- 内蔵頭信基
- 讃岐中将時実
というように、前回見たような形式で、わりあいふつうに書いてあることの方が多いです。
対して、官職を持たない人は、苗字+排行名+名で表記されることが多いです。
- 太田太郎頼基
- 宇野七郎親治
- 宇野太郎有治
- 宇野次郎清治
- 宇野三郎成治
- 宇野四郎義治
- 山田次郎繁弘
- 神戸太郎繁直
- 泉太郎繁光
- 浦野四郎繁遠
- 武田太郎信義
- 逸見太郎光長
- 武田(石和)五郎信光
- 板垣三郎兼信
ここに挙げた人たちはおおよそ源氏ですが、在所を苗字にして名乗っています。
例えば、太田太郎頼基という名乗りは、摂津国太田を本拠地にしている武士団の長男(太田太郎)である頼基という意味ですから、「太田の太郎」というのは、今でいえば「会社名+役職」のようなものですね。ですから、「太郎」だけでは意味をなさず、あくまで「太田太郎」とか「宇野七郎」とかでないとならないわけですね。
「太田」とか「宇野」とか「山田」というのは所属集団を示すので、課長島耕作でいうと「初芝電機産業営業本部販売助成部宣伝課」に相当し、「太郎」とか「次郎」というのがポジションを示すので、「課長」とか「係長」とかに相当するわけですね。島耕作は有名人なので、所属集団を示さずに「課長」といっても通じるわけですが、普通は会社名を言わずに「課長」と言っても通じないでしょう。
武士における苗字+排行名というのは、その人が属する集団と、その集団中でのポジションを示しているので、個人を識別するための名前ではなく、社会的なその人の機能を示すものです。
その意味では、平安貴族における官職名と同じ役割を果たしているといえます。
つまり、
官職+名(ex.修理大夫+経盛)
と、
在所+排行名+名(ex.山田次郎+繁弘)
は、ともに、
社会的機能+固有名詞
という意味では同じ仕組みだということですね。
●純粋な排行名に意味を足したもの。
例えば、
- 梶原平三景時
- 下河辺藤三郎清親
等の場合、排行名に「平」とか「藤」を付けて、姓がわかるようにしています(下河辺氏は秀郷流の藤原氏)。平太、平次、平三、藤太、藤次、源太、源次郎、源三郎などですね。これは、単なる太郎や次郎など、同じ名前になりすぎるのをさけるためと、自分の氏をわかるようにするためと、二つの意味があるのだと思います。
武蔵七党の横山党・猪股党は、小野篁の子孫を名乗っていますが、排行名に「弥太郎」とか「弥太」とかが付くことがあります。岡部六弥太忠澄(猪股党庶流)など。これは、小野氏の太郎で「野太」が転じて「弥太」になっているんですね。
また、次郎三郎とか、四郎次郎とかいう排行名がありますが、これは通常、次郎さんの三男、四郎さんの次男という意味です(のちにそれが世襲されたりもしますが)。
例えば、太田さんのところに太郎・次郎・三郎という兄弟がおり、それぞれ三人づつ男子ができたとすると、太田太郎・次郎・三郎がそれぞれ四人づついることになってしまいます。ですから、親の世代の太郎・次郎・三郎に加えて、子の世代の太郎の太郎(小太郎とか又太郎とか新太郎など)、太郎次郎、太郎三郎、次郎太郎、次郎次郎(小次郎とか又二郎とか新次郎とか)、次郎三郎、三郎太郎、三郎次郎、三郎三郎(小三郎とか又三郎とか新三郎とか)と呼んで区別するわけですね。
さて、苗字+排行名と官職は、社会的機能を示す名乗りという意味では同じですから、次の例のように組み合わせて名乗ることもできます。
結城九郎左衛門尉親光(結城大田判官親光)
これは太平記からですが、結城一族の九郎であり、かつ、左衛門尉である親光、という意味ですね。(結城大田判官は、結城一族で大田荘を根拠地にしている尉という意味です。結城氏は小山氏から出ましたが、小山氏は大田氏から出ましたので、その関係で大田荘の管理をしていたんでしょうか。)
下総結城氏はもと小山氏から出ていて、
政光(小山四郎)→朝光(結城七郎)→朝広(結城七郎)→広綱(結城七郎)→時広(結城七郎)と、当主は代々結城七郎を名乗っています。親光は、分家の白河結城家の出ですが、広綱の弟・祐広(結城弥七)が白河結城初代で、その子・宗広(結城孫七)、その子・親朝(結城七郎)の弟にあたります。結城では、初代朝光以来、嫡男が七郎を名乗っているので、次男(三男)だと九郎になったりするんでしょうか。分家の長男の場合は、七郎を名乗る場合もありますが、七郎をちょっと変化させて「弥七」とか「孫七」になったりもするようです。
このように、当主が「結城七郎」を世襲する場合、「結城+七郎」という苗字+排行名は、結城家の当主という社会的機能を示しているわけで、その意味では、「大納言」とか「近衛中将」とか「大蔵少輔」とかいう役職名と同じです。つまり、この場合の「苗字」は、個人を特定するための情報というよりは、もっと社会的な意味を示しており、現代の場合でいえば、その人が勤めている会社名のようなものになるかと思います。
ところで、「結城九郎左衛門尉親光」という名乗りは、「ゆうきくろう・さえもんのじょう・ちかみつ」と読むんでしょうが、もう少し時代が下ると左衛門尉が九郎とくっついて、「九郎左衛門」になっていくわけで、その場合は「くろうざえもん」と読むわけですが、その後の通称としてよくある「○○左衛門」とか「○○右衛門」の元の形ですよね。
平家物語では、他にも次のような場合があります。
- 越中次郎兵衛盛嗣
- 上総介忠清
- 上総大夫判官忠綱
- 上総五郎兵衛忠光
- 悪七兵衛景清
★越中次郎兵衛盛嗣は平盛嗣のことで、越中守盛俊(越中前司盛俊)の次男なので越中次郎、兵衛というのは、たぶん兵衛尉だったのでしょう。読み方はおそらく、「じろべえ」ではなく「じろうひょうえ」でしょう。(彼の兄平盛綱(高橋盛綱)は左衛門尉だった。)
★上総介忠清は藤原忠清(秀郷流藤原氏)。伊藤忠清、伊藤五ともいいます。五男だったのでしょう。彼の弟に伊藤六(藤原忠直)というのがいます。保元の乱で鎮西八郎が伊藤六を射殺したんですが、弟の体を貫通した矢が、後ろにいた兄・伊藤五の袖に刺さったという話が有名です。(保元物語)
★上総大夫判官忠綱は上総介忠清の子。上総介の子で、左衛門尉で従五位下に叙せられたので上総大夫判官になります。大夫は五位の人のこと、判官は尉のことです。
★上総五郎兵衛忠光は、上総介忠清の五男で兵衛尉だから上総五郎兵衛。兄と同様、兵衛でなく判官と名乗ってもかまわないはずですが、この辺の名乗り方は、個人の好みによるんでしょうか、言いやすさとかによるんでしょうか、よくわかりません。義経の場合は九郎判官っていいますよね。
★悪七兵衛景清(あくしちびょうえ)は、同じく上総介忠清の七男。悪は強いという意味で、兵衛尉だったので、悪七兵衛景清。上総七郎兵衛でもいいんでしょうが。いろいろ逸話のある人で、能の景清とか、歌舞伎の景清とかはこの人のことです。
以上は平家物語に出てきた例です。
太平記になると、立派な武士の場合、苗字+官職名+名で表記する方が多くなりますが、そういった名のある武士の一段下には、例えば以下のように、苗字+排行名or官職名だけで表記される人たちがいて、この場合、排行名と官職名はほとんど同じ扱いです。
以下にあげるのは、太平記の「越後守仲時已下自害事」の条で、一斉に腹を切った人たちです。この人たちには、固有名詞としての名(諱)がなかったのか、あったけれど伝わっていないのかはわかりませんが、苗字+排行名(官職名)だけで個人を特定できるように、いろいろ工夫していて面白いです。
高橋九郎左衛門・高橋孫四郎・高橋又四郎・高橋弥四郎左衛門・高橋五郎
孫四郎・又四郎・弥四郎左衛門と、四郎関係を名乗ることになっていたのかもしれません。左衛門としては、九郎左衛門と四郎左衛門がいます。
隅田源七左衛門尉・隅田孫五郎・隅田藤内左衛門尉・隅田与一・隅田四郎・隅田五郎・隅田孫八・隅田新左衛門尉・隅田又五郎・隅田藤六・隅田三郎
左衛門は、源七左衛門と藤内左衛門と新左衛門がいます。藤内というのは藤原氏で内舎人(うちとねり・うどねり)になったもの、源氏なら源内、平氏なら平内になります。藤内左衛門尉というのは、藤内の子の左衛門尉という意味か、藤内から左衛門尉に進んだという意味か、どちらかでしょう。
五郎関係が、五郎、孫五郎、又五郎と三人います。与一は、十与一ということで、余一と同じく十一男ということです。
安藤太郎左衛門入道・安藤孫三郎入道・安藤左衛門太郎・安藤左衛門三郎・安藤十郎・安藤三郎・安藤又次郎・安藤新左衛門・安藤七郎三郎・安藤藤次郎
太郎左衛門(入道)と左衛門太郎は、官職名と排行名を逆にしただけですが、別人(たぶん親子)です。太郎左衛門は「太郎である左衛門」という意味ですが、左衛門太郎と左衛門三郎は、「左衛門の太郎」「左衛門の三郎」という意味でしょうね。左衛門太郎と左衛門三郎は太郎左衛門の子なんだと思います。孫三郎は太郎左衛門の弟でしょうか。
原宗左近将監入道・原宗彦七・原宗七郎・原宗七郎次郎・原宗平右馬三郎
左近将監は左衛門ほどポピュラーでないので何もついてないのかもしれません。七郎次郎は七郎の次男なんでしょうね。平右馬は右馬介か右馬允でしょうが、左衛門の場合と同様、平を付けて個性化しています。
山本八郎入道・山本七郎入道・山本彦三郎・山本小五郎・山本彦五郎・山本孫四郎
池守藤内兵衛・池守左衛門五郎・池守左衛門七郎・池守左衛門太郎・池守新左衛門
藤内兵衛は、藤内の子の兵衛という意味であるのか、本人が藤内兼兵衛であるのか、どちらであるかわかりません。
左衛門五郎・左衛門七郎・左衛門太郎は、やっぱり、左衛門の五郎・七郎・太郎という意味でしょうか。新左衛門は、左衛門五郎・七郎・太郎の父の左衛門に対して「新」左衛門なのかもしれません。
斎藤宮内丞・斎藤竹丸・斎藤宮内左衛門・斎藤七郎・斎藤三郎
宮内左衛門は宮内丞の息子である左衛門という意味でしょうか?
以上のように、「左衛門尉」が多すぎて、苗字+左衛門尉だけでは区別できないので、「新左衛門」「又左衛門」「孫左衛門」というように左衛門に一文字付け足すとか、「太郎左衛門」「次郎左衛門」「弥四郎左衛門」「源七左衛門」というように排行名と組み合わせて、他の左衛門と区別していたようです。
排行名の場合も同様に、「三郎」ではそのうち誰だかわからなくなるので、「又三郎」「孫三郎」「新三郎」「大三郎」「小三郎」「彦三郎」「弥三郎」「源三郎」「平三郎」「藤三郎」「次郎三郎」というようにして区別したり、三郎左衛門であるとか、三郎兵衛であるとか、官職名と組み合わせて区別したわけですね。
以上、まとめると、
- まず、排行名は単独では意味をなさず、必ず苗字とセットにならないといけない。「七郎」では意味をなさず、「結城七郎」でなければならない。苗字+排行名という表記は、その人の所属団体と、そこでの地位を示している。
- 次に、排行名に多様性をもたせるため、左衛門尉をはじめとした各種丞、内舎人(源内・藤内・平内)などの官職名を、苗字+排行名+官職名という風に使用する場合がある。安藤太郎左衛門尉とか、結城九郎左衛門尉とか。
- 排行名と官職名を組み合わせることが一般的になると、「苗字+排行名+官職名」という表記から、排行名なしに「苗字+官職名」という表記がされる場合が出てくる。ex.斎藤宮内丞、原宗左近将監など。
- 苗字は、本来は個人を特定する情報ではなく、官職などと同様社会的機能を示すものであるから、「苗字+排行名」または「苗字+官職名」は、どちらも、ある人の社会的役割を示すものであり、個人を特定したい場合はその後に名(諱)を書くことになる。ex.結城九郎左衛門尉(社会的機能)+親光(個人名)
というような感じで、以下のような表記が生まれてくるのだと思います。(例は太平記からです。)
- 佐々木治部少輔高秀
- 石塔刑部卿頼房
- 大島左衛門佐義高
- 吉良治部太輔
- 細河相摸守清氏
- 土岐大膳大夫入道善忠
- 甘名宇駿河守宗顕
- 甘名宇駿河左近太夫将監時顕
- 小町中務太輔朝実
- 常葉駿河守範貞
- 名越土佐前司時元
- 摂津形部大輔入道
- 伊具越前々司宗有
- 城加賀前司師顕
- 秋田城介師時
- 城越前守有時
- 南部右馬頭茂時
- 陸奥右馬助家時
- 相摸右馬助高基
- 武蔵左近大夫将監時名
- 陸奥左近将監時英
- 桜田治部太輔貞国
- 江馬遠江守公篤
- 阿曾弾正少弼治時
- 苅田式部大夫篤時
- 遠江兵庫助顕勝
- 備前左近大夫将監政雄
- 坂上遠江守貞朝
- 陸奥式部太輔高朝
- 明石長門介入道忍阿
- 長崎三郎左衛門入道思元
- 摂津宮内大輔高親
- 摂津左近大夫将監親貞
要するに、苗字+官職名+名の場合の苗字は、現在のわたしたちにとっての苗字とは違って、個人情報ではないということでしょう。(家は、現在のわたしたちにとっては個人情報に属するものですが、近代以前の人にとっては所属団体であり、むしろ公的なものなのでしょう。)
というわけで、
羽柴+筑前守+秀吉
という表記は、
所属団体+ポジション+個人名
という表記だと考えた方がよいようですので、「課長島耕作」の場合でいうと、
島+課長+耕作
に相当するのではなく、
初芝電機産業営業本部販売助成部宣伝課+課長+島耕作
に相当するといった方が正しいということのようです。
まあ、それだったら、そんなにおかしいというものでもありませんね。