ツイッターに黒色中国さんという方がいて、名前だけは知っているという程度ですけど、この方の以下のツイートが若干炎上していたようで、彼を非難してるツイートがわたしのTLにいくつか流れてきました。
で、何の話かと思って、元のツイートを読んでみたところ、黒色さんに対しては、ちょっと批判してる方がずれてるなと思いました。
以前、中国の田舎を旅してた時、しばらく滞在した町でよく通ったレストランがあった。
そこの店主に気に入られたんだけど、ある日私が食事してると、目の前に女子店員全員整列させて、「好きなの選んで結婚しろ。2号店の店長になれ」と言われた。でも、その女子はみんな十代で、一番下が15歳だった…
— 黒色中国 (@bci_) December 15, 2019
特にこの部分が燃えてたみたいですが、
ただ、ここで彼を叩いている人の内、その「チャンス」が巡ってきた時に、どれだけの人が、「ガマン」できるのか…というのは興味ある。私がもしあの時に店主の勧めを受けて「結婚」してても、周囲でそれを誰も咎める人はいなかったし。単にチャンスがなかっただけの人が、人格者ぶってるのも変な感じだ
— 黒色中国 (@bci_) December 15, 2019
「チャンス」ってかっこに入れてるんだから、別に彼自身は手放しにそれを「チャンス」だとは思っていないわけですけど、「そういうことをチャンスというなんて信じられない」とかいって非難する方が多いみたいで、これはまあツイッターらしい脊髄反射的な批判。
黒色中国さんの話は、「シンデレラ」みたいな話で、要するに彼はその場で「王子」だったということでしょう。で、どのシンデレラがいいか選べと言われたというわけです。
シンデレラの話では、王子に選ばれてハッピーエンドということになっていますが、社会全体で「そういうもの」となっている場合は、そういうものなわけですから、シンデレラも「王子に選ばれて嬉しい」と思ってしまうということはありうる話だし、シンデレラが王子に見初められて幸せと思っているのに対して、他の文脈に属する人が、「そんなのは本当の幸せではない」といってもしょうがないということはあります。(もちろん、自分の友達とかだったら、「わたしはそういうことじゃだめだと思う」と伝えてみるのもいいですけど、それは個人的な人間関係に属する問題で、社会的な問題ではありません。)
もちろん、今の日本でシンデレラみたいな話を無批判に繰り返すのは、例えば、「女の子は選ぶ側じゃなくて選ばれる側であるべきなのだ」という考えを肯定することになるので、ポリティカリーにインコレクトです。
だからまあ、今の日本においては、黒色さんがしたような話に対しては、「ひどい」とか言っておけばいいわけですけど(そうだとしても黒色さんがひどいわけではない)、黒色さんの話の主眼はそこにはなくて、そういうリアリティが現にある世界に入っていった時、それに対してこちらの価値観で評価するだけではしょうがないんじゃないかということでしょう。
もちろん、社会の価値観の話なわけですから、個人でどうこうできる問題でないし、結局のところなにもすることなんかできないわけですけど、だからといって、「ひどい」とか「はきけがする」とか「涙が止まらない」とか「震えた」とかいって誰かを殴ることでなにかしたような気になる(カタルシス)というのは、問題を矮小化するだけなのでかえってよくないと思う、というようなことを黒色さんは言いたかったんだろうから、それに対して、「ひどい」とか「吐き気がする」とか「涙が止まらない」とか「震えた」とかって非難されるのは、しょうがないといえばしょうがないことではありますね。痛いところを突いていたのでしょうから。
黒色さんの話は以上。