今日は、きゅんきゅんする話を書きます。

わたしの人生で、いちばんのモテ期は、中学三年の夏くらいから卒業まででした。
そりゃあもー、たいへんMMKで、MMKってのは、マルチメディアキオスクでも、乳癌(mammakrebs)のことでもなくて、モテてモテて困るって意味の海軍用語ですけど、毎週「だれ?」っていう子からの手紙が下駄箱に入ってたり、帰宅中に尾行されたりとかで、けっこうマジで困っていたわけなんですが。

もっとも、MMKだったのは女子の後輩からだけで、男子からはさっぱりだったので、尾行されても怖いとかいうことはなかったです。つまり、モテ期といっても、異様に後輩の女の子たちにキャーキャーいわれてた時期があった、というだけの話で。

で、なにがきゅんきゅんする話なのかっていうと、こないだテープのプレゼントの話をしてて、なつかしくなって昔の手紙とかの箱を探してみたんですけど、そういう子達からもらった手紙がたくさん出てきまして、それがあなた、もー、すごいかわいいな!って話です。

たとえばこんな。手書きってのがいいですよね。
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この子は、ユーコちゃんといって、ブラバンでいっこ下の後輩で、しかも妹と同じクラスの子だったんだけど、わたしはトランペットorコルネットで、彼女はクラリネットだったので、一緒に練習する機会とかはほとんどなくて、だから、同じ部活といってもあまり接点はありませんでした。(ブラバンの練習は、普段はパート練習だけで、週に一回づつ、金管と木管のそれぞれに別れてセクション練習と、全体でやる合奏練習がありました。うちのブラバンは、だいたい金曜日がセクション練習で、土曜日の午後が合奏練習でした。パート練習っていうのは、トランペットならトランペット(4人~5人)だけで、別の教室に行ってやります。で、ロングトーンとかリップスラーとかから、ひととおり教則本を一緒にやる。それから、練習中の曲をパートで一緒にやって、それを録音して聞いてみるって感じですね。)
彼女は、すごいおとなしい子で、わたしが部活をやってる間(八月末の県大会まで)は、声が小っちゃい子だなという印象くらいしかありませんでした。とくに個人的になにか言ってくるとか、そういうことはなくて、それどころか、たまたまなんか用事があって話しかけたときとか、ろくに返事もしないで逃げていっちゃうみたいなもじもじした子だったので、クリスマスになっていきなりプレゼントとかもらって、ちょっとびっくりしました。

で、どういうシチュエーションでもらったのかは、なんせ大昔のことなんで、もう覚えてないんですが、どうやらあく手してくださいって言われてしたみたいです。かわいいですね~。もお。
あ、もらった手袋は覚えてます。当時よくあった伸びる手袋に、指の部分がない手袋カバーみたいなのを重ねたやつでした。伸びる手袋というのは、着用すると伸びるんですけど、そのせいで編み目も伸びて保温性が悪くなるので、それを補うために甲の部分が二重になってたんだと思います。

さて、ユーコちゃんからの手紙ですが、いちおう突っ込んでおくと、

①わたしはそんなおしゃれではなかった。
スタジャンとか、デッキシューズとか、そういうのがはやると、わたしも欲しいなと思って、母親に、買ってというんですが、「こっちのが物がいいのよ」とかいって、常にみんなと違うデザインのやつしか買ってくれなくて、そのせいで、みんなと違う格好になってしまうってことはありました。中学生用の通学鞄っていうのがあって、学校指定のはずなんだけど、それすら、みんなはクリーム色のやつだったのに、わたしが買ってもらったのは真っ白なやつで、ひとりだけ違う鞄だった。まあ、鞄に関しては、目立ってよかったと思いますけどね。ちなみに、妹はみんなと同じ鞄を買ってもらってたけど、それが不満だったみたい。今思うと、うちの母親はわざとやってたのかもしれませんね。(ちなみにうちの母親は東京の人で、方言に偏見をもってたのでうちでは訛り禁止でした。)

②ぼうしはかぶってたけど、クセが強くて髪がはねるので、押さえつけるためにかぶっていた。

て、ところでしょうか。
あとから聞いた話では、ユーコちゃんは事前調査として、なにをあげたら喜ばれるかを妹に聞いたらしいんですけど、妹は、「わがんねさげ、何欲っしが、きいでぎでやっか?」(わかんないから、何が欲しいか聞いてきてあげようか?)と言ったので、それはやめてと言ったらしい。ま、うちの妹に聞くのが間違ってるって話ですけど。ちなみにわたしは、妹から「変なもの」しかもらったことがありません。京都修学旅行のお土産が、五連括り猿2500円(真言付き)とかね。

で、これがクリスマスのことなので、一週間後にはお正月になるわけですが、お正月には「お年賀状」のようなものが届いたんですが、妹にも来てて、そちらは喪中のご挨拶のハガキで、どうも彼女のおじいさんがお亡くなりになって、喪中ですということだったようです。
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というわけで、彼女としては、「おめでとう」って言わなかったら年賀にならないからいいんだって思ってたようで、まあ「賀」じゃなければいいわけだから、あながち間違いではないか。

で、2枚目。

「どうして、Eちゃんにはハガキで、センパイには手紙なんだろう」という疑問があるといけないので、なんで手紙になったのかお知らせします。一番はじめは、手紙にしようと思ったのです。が、「正月だし、やっぱりお年玉くじつきハガキの方がいいかなぁ」と思い、親の目をかすめて1枚手に入れたのです。それに「あけまして、こんにちは」とか、ご挨拶を書き、絵も書いて、うまくいって、
「うーむ、上出来だ」
とかなんとか言いながら、あて名を書くときに、ウラがうまくいって、まいあがっていた私は、おもわず「○○町10-22」とかくべきところに「△町5-23」などと、自分の住所を書いてしまい、貴重な1枚をムダにしたのでした。
そういうわけで手紙なのです。わかって下さい。
昨年は、たいへんお世話になり、ご迷惑もおかけしました。X’masには、あのようなちゃっちい物をうけとっていただき、ありがとうございました。あと、あく手とかもありがとうございました。昨年のセンパイは、文化祭の劇とか、合唱コンクールの伴奏とか指揮とか、駅伝とか、アンサンブルコンサートとかで大活ヤクで、とっても素敵でした。どうか、今年もがんばって下さい。応援します。
それでは今年もよろしくお願いします。

一生懸命書いてて、かわいいですね。(どうでもいい話っていえば、かなりどうでもいい話なんだけどさあ。もっとも、ユーコちゃんは文章がけっこううまいですね。)
とはいえさすがに、ハガキのあて名を間違えたくらい、修正液でなおせばいいじゃない、って思いますが。

で、これを見るとどうも、わたしが大活躍だったからあこがれたってことらしいですが、文化祭の劇というのは、クラスの出し物の脚本を書いて、みんなにやらせた覚えはあるんだけど(脚本・演出)、わたし自身は出なかったような気がするんですが、どういうことでしょうね?話の内容は、当時はやってた大徹と、新横綱の双羽黒がどうのこうのって話だったような気がしますが、覚えてません。

合唱コンクールの伴奏と指揮というのは、クラス対抗の合唱コンクールで、課題曲と自由曲を1曲づつ演奏するんですが、最初は両方わたしが伴奏することになってたんですが、なんだか自由曲の選曲で、ちょっと難しい曲を選んじゃって、「流浪の民」っていう曲だったんだけど、難しい曲なのに男子がぜんぜん練習をやらなくて、困ったということになったんですね。で、うちのクラスは、合唱部の子が練習をしきってたんですが、うちの中学の合唱部は女子しかいなくて慣れてなかったからか、ぜんぜん練習しようとしない男子に対して、しきってた子が、あどやんだ(もうイヤ)って言って泣きだしちゃったものだから、しょうがなくわたしが男子の練習を監督することになったんですね。というのも、わたしはブラバンで金管のセクションリーダーをしてたから、男子(金管は1/3くらいが男子だった)に練習させて、アンサンブルさせるのは得意だったというわけです。

中学生男子というのは単純なので、勉強を教える時とかでもそうですが、段階を追ってできる課題を出してって、「こげだごどもでぎねな?」(こんなこともできないの?)っていうと、だいたいむきになってやるものです。あとは、まじめに練習するのが照れくさいからか、くだらないことを言って笑わせようとするやつとかを、「おもしゃぐねさげ、だまってれっちゃ」(おもしろくないから黙っててよ)って、黙らせることができたら、むしろ女子の集団よりも言うことをきくようになりますね。(ま、昔の子だったから、素直だったのかもしれないけど。)

で、夏休み明けから9月終わりまで、1ヶ月くらい練習させて、一応ちゃんと「合唱」ができるようにしたんですけど、その間ずっとわたしが男子に練習をさせてて、女子とあわせて練習するようになっても、合わせるとまた歌えなくなっちゃったりするので、結局、練習中はずっとわたしが指揮をしてて、そしたらわたしも、けっこう指揮するのがおもしろくなってきちゃったので(集団に言うことを聞かせる快感ですねw わたしが手をぱって開いて止めたら、歌うのをやめるってことにしといて、たまに脈絡なくぴたって止めたりするの。孫子の話みたいですが、楽しかったw)、自由曲の伴奏は別の子に代わってもらって、わたしが指揮をすることにしたのでした。

で、中学校の校内合唱コンクールの指揮なんて、前で手を振ってるだけで、指揮とよべるようなことはなんにもしないのが普通なので、いちおうわたしが「歌わせてる」形になってたうちのクラスは、けっこう目立ったようなんですね。で、無事合唱の方も全校で一等賞になって(たいていのクラスでは、男子にまともに練習させることができないので、男子が普通に練習して歌うだけで、優勝できちゃうんですね。うちと張り合えるクラスは、担任が合唱部の先生ってクラスだけでした)、これはかなりうれしくって、「一等って言われてもシーンとしてようね」って、みんなで約束してたのに、結局、「わーっ」って大騒ぎしちゃったり。(こんな話、まるっと忘れてたんですが、ユーコちゃんの手紙をみて思い出しました。忘れてたはずなのに、けっこう思い出すもんですね。)

それから、駅伝ですか。これは毎年、中体連とは別に地区の駅伝大会(男女混成・女子2区間)が10月にあって、全校選抜でチームを作って出るんですが、うちの中学が総合で優勝して、わたしも区間賞をもらったって話です。女子の区間は、ちょうどうちの中学の前を走る区間だったので、大会は平日でふつうに授業がある日だったんだけど、ちょうどわたしが走ってる時に、全校生徒が授業を中断して路上で応援してくれて、駅伝なんてすごい地味な競技のはずなのに、かなり目立っちゃって、目立ちたがりのチームの男子にすごいうらやましがられましたw (で、地区駅伝のすぐ後に、校内駅伝大会があって、うちのクラスには選抜チームだった人がけっこうたくさんいたので、優勝を狙うぞって言ってたんですが、そっちは残念ながら2位でした。)

それまで、特に陸上の練習とかしたことがなかったんだけど、年5回ある校内マラソン大会(マラソンとはいえ、女子は3kmしかありませんでしたが)では、いっつも1番か2番だったので、選抜駅伝チームに入れられて、1ヶ月くらい練習させられて、それから大会に出たんですけど、男女あわせて、文化部から選ばれたのがわたしだけだったので、後輩の女の子とかだと、「すごい」って思ったりしたようだったんだけど、実際のところ、マラソン大会なんて、陸上部の子以外、中三にもなると女子はまじめに走らないもので、あんなのまじめに走るやつはバカって思ってるのが普通で、友達とかからは、「よぐやんのー。てか、なして?いっしょにあるいでごーでー」(よくやるよね、てか、なんで?一緒に歩いてこうよ)とかって、冷めた目で見られてましたね。

わたしも別に、走るのが好きというわけでもなかったんですが、じっさい走り始めると、なんかよくわかりませんが、脳内麻薬的なものが出ちゃうらしく、もうどんどんハイになって止まらなくなっちゃうんですね。で、普段トレーニングしてるわけじゃないのに、大会の時だけ無茶になって走るから、その後筋肉痛になって3日くらい動けないみたいな感じでしたが、駅伝チームに入れられて、1ヶ月ほどロードの練習をしたら、走っても痛くならなくなったので、こりゃ楽しいと思って、それから朝に妹と走ったりするようになって、で、練習しないでもけっこう速かったんだから、練習したらもっと速くなるかもとか思って、高校で陸上部に入ってみたんですが、体型が変わって、速くなるどころか遅くなったりして、ばからしいので1年ちょいでやめちゃいました。で、ようやく、友達がみんな、「なしてまじめに走ったりすんなが、ぜんぜんわがんね」って言ってた理由がわかるようになったというわけ。わたしも妹のことはあまり言えません。

で、後はアンサンブルコンテストですか。これは、12月にあるブラバン関係のコンテストで、ふつうは3年生はもう引退してるから参加しないんですが、個人的に、ちょっとユーフォやってみたいなと思った(夏の大会のとき、出番待ちの高校生のお兄さんが、文化会館のウラの非常階段でユーフォを吹いてるのを見て、わあ!かっこいい!って思ったっていうミーハーな理由からなんですがw)のと、受験勉強したくないなというので、合唱コンクールが終わってから、1ヶ月くらい練習して、1年の子達と金管6重奏で出てみたんですね。で、わたしとしては、ユーフォがやれて楽しかったので、まあいいかということで、わたし自身、そんなにうまく吹けたわけじゃなかったし、合奏としてもかなりダメダメだったんですけど(1年チームだからそんなもんですが)、でもまあ、女の子はギャップが好きだから、トランペットだったのにユーフォで出たから、すてきってくらいのことかもしれませんね。よくわかりません。

さて、だいたいこんなようなわけで、要するにわたしは、中3の夏すぎから、すごい無駄なエネルギーを発揮してて、8月いっぱいブラバン、9月~10月初まで駅伝、9月末~10月末まで合唱と劇、11月~12月アンサンブルって具合に(その合間に中間と期末もあったはずなんだけどw)、いろいろ打ち込んでたわけなんですが、これは今から思うと、おそらく、非常に中学三年生的な実存的問題を抱えつつ、なんか反抗してたってことなんだと思います。

ま、簡単にいえば、来年は高校に行かなきゃいけないってだけのことなんですけど(クラスに一人くらいは高校に行かないで大工さんになったりする子もいましたけど)、当時わたしのいた地方には、共学の普通科の公立高校がひとつ、私立高校(特進科)がひとつ、普通科の公立の女子高がひとつしかなくて、あとは、工業高校ふたつ、商業高校ふたつ、水産高校、農業高校、家政高校がひとつづつって感じで、最初の三つのどれかに行けば進学も考えられるけど、それ以外だと、まあだいたい高校でたら就職することになってるわけですね。

ということは、高校進学の時点で、「あと三年したら就職するんだ」みたいな覚悟が要求されるわけです。で、わたしはもう最初から、共学の普通科の高校にいくことにしてたから、個人的には別に進路の悩みとかはなかったんですけど、今まで、選別されたり選択したりすることなく、みんなで一緒にやってきた友達が、そろそろ、それぞれ別の道に進んでいかなきゃいけないんだっていうことを意識するようになって、なんかそういうのを認めたくないというようなことだったんだと思います。

で、まあ、そういう中学三年生的な鬱勃たるパトスから、とにかく戦わなきゃって、何と戦わなきゃいけないんだかはわかってないけど、でも、とにかく戦わなきゃっていうような感じだったと思うんですが、これはすごい中学三年生的葛藤で、今のわたしから見ると、あんまり熱くならずにがんばってね、てか、勉強もちょっとはしたら?って、上から目線で見守ってあげるしかできないんですけど、中学二年とか一年の子からみたら、自分のちょっとだけ前を行ってる人が、なんかよくわかんないけど、何かと戦ってるみたいですごい!っていうような感銘を受けてたんじゃないかと思います。

で、当時のわたしは、そうとは気づかなかったんですが、わたしにいろいろ言ってきてた子たちは、そういう感銘を受けたってことを、わたしに言わなきゃって思ってくれて、それで手紙をくれたりしてたんじゃないかなと思うわけですね。

トシミちゃんという子から、卒業式のときにもらった手紙。
「委員会での発言」とか言ってるので、たぶん委員会で一緒だったとかなんでしょうね。
なんの委員会をやってたのか忘れましたが、体育祭の準備とかを一緒にやってた子だったような気がする。

中学卒業と高校合格おめでとうございます。
でも先輩がいなくなると○中もさみしくなると思います。私は・・・
先輩の指揮とか、先輩の演奏する曲、大好きでした。
もうめったに見られなくなると・・・
委員会での発言も、体育祭も、涙が出るほどおかしくて大好きでした。
高校いっても元気でがんばってください。
そしてたまには遊びに来てください。
それでは笑顔で、see you again

この子もユーコちゃんと、だいたい同じみたいですが、要するに、中学生の女の子が、中学三年生的問題と格闘している中学生の女の子に、「がんばれっ!」って言ってるってのが、本質的なことなんだろうと思います。

中学三年のわたしが抱えていた問題は、今となっては、もはや、どんな問題だったかよく理解できないというのは当たり前のことですが、実はもっと期間限定な問題で、たぶん、次の年に高校生になったら、もうリアルな問題じゃなくなってた可能性が高いんですね。高校一年生には高校一年生の問題があって、それだけで手いっぱいだからね。

つまり、一年後の自分ですら、もはや共感できなくなるような問題で、それはたぶん、近所に住んでる子たちを適当に分けて作っただけのクラスを、劇とか合唱とか、そういうことを一緒にやって、ただ集められただけじゃないんだっていうことにしたかったんだろうなって、今となっては思います。

中学三年生にもなると、もう、わりかし「個性」みたいなものが出てきてるから、無作為に40人あつめて、ほらクラスだぞって言われても、まとまったりできないのが普通で、そっちのが健全な中学生で、だから、「まとまってるクラス」とかいうのは、だいたい先生が強権を発動して無理やりまとめててキモチワルイって思ってて、「自分たちはそんなふうにのせられて団結したりなんかしないぞ!」って言って、その反抗心で団結しちゃったりって、たぶんそんなようなことだったと思うんですが、ホント、中学生って、あたま悪くてかわいすぎですw

さて、長くなったのでとりあえずまとめ。
当時のわたしは、「先輩ステキです」とか、「がんばってください」とか、「好きです」とかって、女の子たちからこんなきゅんきゅんする手紙をもらっても、「この子達は、なんでこんなことをわたしに言ってくるんだろう?」って思うだけで、ぜんぜんわかってませんでした。

で、わたしは別に、「ステキ」になろうとか思って、なんかやってるんじゃないし、「がんばって」って言われたって、別に言われなくても頑張りたかったら頑張るし、頑張りたくなきゃ頑張らないだけで、他の子には関係ないことだし、って、だいたいそんなふうに思ってたと思うんですね。わたしは、自分の具体的な問題に手いっぱいで、だから、クラスの子たちとはおんなじ問題を抱えてるって意識があったけど、それが他の学年の子とかにも「わかってもらえる」問題だとは思ってなかったんですね。(具体的な「このわたしたち」がどうするかって問題だったから。他のクラスの子とか、他の学年の子とかには関係ない話だって思ってたわけ。)

だけど、ユーコちゃんとかトシミちゃんとか、他にもたくさんいたんですけど、この子たちは、そういうわたしを見てて、わたしに対して、「なんか言ってあげなきゃ!」って思ったってわけで、で、どうしてそう思ったかというと、彼女たちがわたしのことを「分かって」いたから、わたしが戦ってることに対して、「わたしも一緒に戦ってるよ!」って言ってあげなきゃって思ってたからだと思うんですね。(大人は頭がいいし、視野が広いから、こどもが考えてることなんてたいていわかっちゃいます。でも、それは上から目線だから分かるってだけで、こどもが戦ってる問題について、こどもとおんなじ目線から分かることができるのは、子供だけなんですね。)

それじゃ、最後に、取っておきのきゅんきゅんするやつをご紹介します。
駅伝の練習を一緒にしてたアキちゃん。この子は陸上部だったので、妹の後輩でもありました。で、文中にある記録会を見にいったとかいうのは、たぶん、妹を応援しに行ったついでのことですねw

先輩、受験勉強はどうですか?志望校目指してがんばってください。
話は変わるんだけど。
はじめは自分でも先輩のことをただの憧れの人でした。
でも、ずっと前のことだけど駅伝の練習を一緒にやっていて、その時私がすごく咳がたくさん出てぜーぜーしているときにやさしく声をかけてくれたときは、すごくうれしくなって、それから先輩のことが好きになりました。記録会のときなど見に来てくれてとてもうれしかったです。
学校の中でおじぎをすると、にこっと笑ってお辞儀をしてくれるのが、とてもうれしかったです。
試験前なのは知っているのに、こんな手紙を書いてしまってどうもすみません。ごめんなさい。
はっきり言ってわたしは、先輩のことが「好き」です。
試験勉強でいそがしいのはわかっているけど返事ください。

文章については、ちょっと添削したくなるところがありますが、このつたない文が、もお、たまらないですねw

で、くやしいですが、わたしは物心ついてから、こんなふうに意味もなく、人に対して、「好きだから好き」っていえるほど純粋だったことがないので、こんなふうに言われても、「なんでわたしのことをよくわからずに好きとかいえるの?」とか、そんなふうに思ったと思うんですが、基本的に女の子にはきついことを言わないタイプだったので、「ありがとう、うれしいです」とか、そんなあたりさわりのないお返事をしたんだと思います。

中学生のころのわたしは、自分で自分のことがわかってると思っていて、他の人にわたしのことがわかってたまるかって思ってたんですけど、「好き」って思うっていうのは、すでにそういうやり方で相手のことを理解してるってことなんですよね。だから、わたしはアキちゃんをぜんぜん理解できてなかったけど、アキちゃんはわたしを理解してて、そういうわたしのことが痛々しいっていうか、もちろん、自分では全然そんなこと思ってなかったわけですけど、わたしにいろいろ言ってきてくれる子たちには、わたしがそういうふうに見えていて、だから、「がんばれっ!」って言ってあげなきゃ、って思われてたんじゃないかなと思いますね。

最後に、こういうきゅんきゅんする出来事は、途中でも書きましたが、期間限定のものです。
ユーコちゃんもトシミちゃんもアキちゃんも、たぶん今やわたしのことなんか覚えてないだろうし、覚えてたとしても、どういうふうに好きだったのかなんてことを覚えているわけはありません。
それはあたりまえのことで、中学生の女の子が、中学三年生的問題と格闘している中学生の女の子に、「がんばれっ!」って言ってるってことだったんだから、中学生じゃなくなったら失われるに決まってるきゅんきゅんだったってことですよね。

また、わたしにしても、たまたま、もらった手紙を取っておいたから、今になって、そういうきゅんきゅんがあったってことがわかるわけなんですけど、もらった当時はよくわかっていなかったわけで、「ふーん」って思って、そのまま手紙を捨てちゃってたりしたら、(てか、じっさい捨てちゃった手紙のが多いわけですが)、もう誰も思い出さないきゅんきゅんだったってことになるわけですね。

では、そういうきゅんきゅんには、いったいどんな意味があるのか?

これについては、ジャンケレヴィッチ風に、だいたいこんなように考えてます。

生きるということは、きゅんきゅんすることである。
失われたきゅんきゅんは、二度と戻らない。死んだ人は生き返らない。つまり、時間は逆行しない。
だが、時間は絶対に逆行しえないがゆえに、かつて「きゅんきゅんがあった」という事実は、絶対になくならない。
たとえ、それをおぼえている人がだれもいなかったとしても。
(一度あった「きゅんきゅん」が無くなることはあるが、「最初から無かった」ことにはならない。)

というような感じです。

6 comments on “中三のころの話”

  1. え”ぇぇぇっぇぇっぇぇ
    これまで、えーと2年くらい IXAとかでもからんできたけど
    ずっと縫さん、男だと思ってたwww
    DIYの大工仕事とか、他にもいろいろ”男らしい”じゃないですかぁ

    (で、肝心の話の中身はよくわからない世界だったりw
    方言が萌えだったりw←東京生まれの東京育ち 茨城弁ですら追越寮とかのおじさんが
    完璧に茨詭弁で最初は苦労した)

    • あれ?知らなかった?

      別に隠してたわけじゃないんですが、わざわざ言うことでもないので、まあいいでしょうw

      別のゲームでですが、前に、同じ同盟に若い男の子がいて、その子はわたしに対して、勝手におねーさんっぽいイメージを持ってたらしく、あるとき年齢の話になったとき、「げっ、うちのBBAより上じゃん」とか言いやがって、けっこうむかついたことがあったので、それ以来、特に若い子には、あんまり言わないようにはしてます。

      17-32の同盟の人達とか、たぶん男だと思ってるっぽくて、前にチャットで、「縫殿さんはどんなセクシー女優が好き?」みたいな話を振られて、どうしよう?というようなこともたまにはありますが、わたしの場合、話の内容とか口調とか、ふつうにしてても、わりと男っぽいので、コミュニケーションに問題はないようです。ぼんじょさんも気付かなかったわけだしw

      で、話の中身は、一言でいうと、中学生女子はかわいいよね♪って話です。

      あと、大学の掃除のおばちゃんたちについては、わたしも最初まったくききとれなくて、「あ、どっかの留学生が話してる」とか思って見たら、掃除のおばちゃんたちでびっくりというようなことが何回かありましたw
      今は聞き取れるようになりましたけど。

    • きゅんきゅんするでしょw

      わたしの考えでは、女の子はきゅんきゅんするけど、男の子は、かわいくてもきゅんきゅんしないような気がするんだけどどうでしょう?

      男の子に対して、女の子がきゅんきゅんするっていうのはあるけど、女の子に対して男の子がきゅんきゅんするってのはないんじゃないかな?と。(男の子って、もんもんしそうw)

      でも、男の子同士だったら、きゅんきゅんするってのもあるような気がする。
      トニオクレーゲルとかね。

      右京君も、お年頃になったら、女の子にきゅんきゅんされたりするんでしょうけど、嫉妬に狂ったりしちゃだめよw
      今から覚悟しておくように。

  2. うちもこう見えて(ってどんなやねんw)、
    中学のときは縫さんみたいな感じだったんですが、
    成長するにつれそこから遠ざかり、
    今はその後輩ちゃんたちの気持ちがよくわかるようになりました( ̄∀ ̄*)
    縫さんみたいな先輩がほしい(ノωノ)
    実際はうちのほうが年上なんだけどさっ( ´,_ゝ`)プッ

    • へー。竹さん部活はなんだったかな?

      わたしは、なんかしらんけど、むかしからずっと先輩キャラで、わたしから「センパイ!」とかって誰かにまとわりついたりっていうのは、たぶん性格的にできなくて、だから、センパイからお世話してもらったことっていうのもあんまりないです。

      大学院のころとか、女の子ばっかり、毎年3~4人の卒論とか修論とかを手伝ってたなあ。自分は手伝ってもらったことなかったんだけどなあ。たぶん、女の子に甘いんだと思います。

      仕事でも、「部下」を持ったことは一度もないんだけど、「後輩」はたくさんいて、「部下」には命令できるらしいけど、「後輩」には指導とかしなくちゃいけなくて、指導してもできなかったら、手伝ってあげたりしなくちゃいけなくて、なんか不公平だなと思いますw

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