つづきです。
軍記物などでよく見かける「羽柴筑前守秀吉」式の表記について、これはよく考えてみると「島課長耕作」みたいなもので、たいへん奇妙な書き方だと思うんですが、どうしてこういう表記をするようになったのかを考えてみようというシリーズの二回目です。
前回は、官職付きの「正しい」表記の仕方をまとめました。「正しい」というのは、公式文書に書く時の決まりにのっとった書き方(位署)のことです。
今回は、もうちょっとくだけた書き方についてみてみようと思います。
☆官職付き個人名の簡単な表記☆
さて、前回紹介したような正式な書き方は、公文とか正史に書く場合の書き方で、もちろん普段はもっと適当に書いたり話したりしているわけです。
その際、官職+名(名+官職)と書く場合と、在所(屋号)+官職と書く場合があるように思います。
自分で自分の名を書く場合は、官職+諱の方が一般的というか丁寧な書き方だと思います。
左大臣冬嗣
太政大臣良房
太政大臣基経
などといった書き方です。
この人たちを屋号(+官職)で書くと、それぞれ、
閑院大臣
染殿大臣
堀河大臣
となります。他人について書く時は、屋号(+官職)で書く方がより敬っているような感じがすると思います。
また、上記二種類の書き方を合体させて、
閑院左大臣冬嗣
染殿太政大臣良房
堀河太政大臣基経
と書くことも理論上は可能でしょうが、あまり一般的ではないと思います。少なくとも偉い人に関しては、こういう書き方はしないでしょう。
なぜかというと、人の呼び方というのは、一般に、ぼかせばぼかしただけ丁寧になるからで、つまり、「閑院大臣」と書いて通じるときには、わざわざ「冬嗣」と諱を書く必要がないからだと思います。
「閑院」というのは冬嗣の住んでいた建物の名前で、例えば彼の五代孫にあたる公季は「閑院」を伝領していたので、冬嗣と同じく「閑院大臣」と呼ばれていました。ですから、文脈によっては冬嗣と区別できなくなるわけで、そういう時には、「左大臣冬嗣」とか「太政大臣公季」とか書かないといけないわけですね。(通常は、文脈でわかるので区別は必要ないですが、歴史的なことを書いているときなどは区別が必要になることもあります。)
ちなみに、公季が閑院を伝領する前には、年上の甥である朝光(兼通次男)が閑院に住んでおり、やっぱり「閑院大将」と呼ばれていたようです。
☆官職の組み合わせとか、位階との組み合わせ☆
さて、上記のような特別な「通称」がない場合、兼帯する官職を組み合わせたり、位階と組み合わせることによって、官職を通称のように使用できる場合があります。
よくみかけるのは以下のようなもの。
頭弁 | とうのべん | 蔵人頭 | 左右中弁 |
頭中将 | とうのちゅうじょう | 蔵人頭 | 左右近衛中将 |
宰相中将 | さいしょうちゅうじょう | 参議 | 左右近衛中将 |
中納言中将 | ちゅうなごんちゅうじょう | 中納言 | 中将 |
侍従中納言 | じじゅうちゅうなごん | 侍従 | 中納言 |
帥中納言 | そちちゅうなごん | 太宰権帥 | 中納言 |
帥大納言 | そちだいなごん | 太宰権帥 | 大納言 |
蔵人少将 | くろうどしょうしょう | 五位蔵人 | 左右近衛少将 |
按察使大納言 | あぜちだいなごん | 陸奥出羽按察使 | 大納言 |
侍従大納言 | じじゅうだいなごん | 侍従 | 大納言 |
二位中将 三位中将 五位中将 | にいちゅうじょう さんみちゅうじょう ごいちゅうじょう | ||
三位少将 四位少将 | さんみしょうしょう しいしょうしょう | ||
四位侍従 | しいじじゅう |
これらは普通名詞ではありますが、二つの官職を組み合わせることによって若干個性化するので便利です。
つまり、「桃園大納言」のように邸宅名と官職を組み合わせて個性化するのと同様に、「按察使大納言」ということによって個性化する方法もあるというわけですね。
☆官職に一字つけて固有名詞的に使う☆
定員が複数いる官職の場合、官職だけでは誰だかわかりません。というわけで、官職に姓の一文字を付けて、源宰相とか、藤中納言とか、在中将とかいう場合があります。(宰相というのは参議のことです。)プロ野球の場合、同じチームに同姓の選手がいると、「山本昌」「山本保」というように、名前の一文字を付けて区別しますが、その類です。
とはいえ、源俊賢が「源民部卿」だったり、藤原斉信が「藤民部卿」だったり、源高明が「源帥(げんのそち)」だったり、大江匡房が「江帥(ごうのそち)」とか「江都督」だったり、一人しかいないポストでも一文字付ける例はあります。(都督というのは太宰帥(権帥)の唐名です。)
源氏や平氏の場合は一字姓なので、姓+官職という書き方をしているように見えますが、どうもそういうわけでもないようです。大鏡では源時中のことを、「源大納言」と表記していますが、一ヵ所、「時中源大納言」と書いているところがあります。これはおそらく、「ときなかのげんだいなごん」と読んだのだと思いますが、この場合の「源」は、「大納言」を修飾する言葉であって、「時中」さんの姓として書かれているわけではないと思います。姓として書いているのだったら、「源時中大納言(みなもとのときなかのだいなごん)」、あるいは、「大納言源時中(だいなごんみなもとのときなか)」と書かなければおかしいからです。当時、「源大納言」が他にもいたのかどうかはわかりませんが、「源大納言」と書いただけでは誰だかわからないかもしれないということで、「時中の源大納言」と書いたのかもしれませんね。(栄花物語にも「経長の源中納言」という表記があります。)
ちなみに、藤原氏の場合は「藤(とう)」がついて、「藤大納言」、「藤宰相」「藤民部卿」「藤中将」など。平氏が「平(へい)」、在原氏が「在(ざい)」、伴氏が「伴(ばん)」、大江氏が「江(ごう)」、菅原氏が「菅(かん)」、清原氏が「清(せい)」、小野氏が「野(や)」で、このあたりはわりあい見かけると思いますが、官職に一文字付けて呼ぶ場合は、姓の一字を音読みすることになっています。女房名だと、清少納言とか、江侍従とか、籐三位(大弐三位)とかは音読みしますよね。音読みするというのは、中国風の名乗りにしたかったということでしょう。「菅丞相(かんじょうしょう)」とか「江都督(ごうととく)」とか「野宰相(やさいしょう)」とか、官職の方も唐名にすると一層中国っぽくなります。(それぞれ、右大臣菅原道真、太宰権帥大江匡房、参議小野篁のこと。)
というわけで、平安時代のものでも、「源民部卿道方」とか「平中納言惟仲」とか「源宰相頼定」とか「伴大納言善男」という書き方をしているものがあって、これらは一見したところ、後世風の「姓+官職+名」の先例のように見えますが、「げんみんぶきょう・みちかた」「へいちゅうなごん・これなか」「げんさいしょう・よりさだ」「ばんだいなごん・よしお」であって、あくまで「官職+名」の官職に修飾する文字が付いているものであると思います。
☆名+官職と官職+名の表記☆
大鏡や栄花物語などを見ると、「名+官職」と「官職+名」の両方の書き方があります。
- 敦忠の中納言・中納言敦忠(藤原敦忠)
- 侍従宰相資平の君・資平の宰相(藤原資平)
- 文範の民部卿(藤原文範)
- 右兵衛督忠君(藤原忠君)
- 佐理大弐(藤原佐理)
- 侍従大納言行成卿(藤原行成)
- 済時左大将(藤原済時・小一条大将)
など。これらの官職では、「名+官職」でも「官職+名」でもどちらでもよいようです。
ただし、国司については、「官職+名」しか見当たらないような気がします。
- 但馬守実経(藤原実経)
- 尾張守良経(藤原良経)
- 播磨守尹文(藤原尹文)
- 伯耆守資頼(藤原資頼)
- 伊賀前司資国
など。なんでなんでしょうね?語呂の問題でしょうか。「資頼伯耆守」とか、「資頼の伯耆守」と言っても、別に悪くはないと思いますが。あるいは、わたしが知らないだけで、国司の場合でも「名+官職」という例があるのでしょうか。
☆苗字+官職+名が出てくるまで☆
九条右大臣である藤原師輔の子孫は、のちに「九条」という苗字を名乗るようになります。鎌倉時代初期の九条兼実のころからです。中央の貴族の場合は、当主が代々受け継ぐ邸宅のある場所(九条・一条・二条・三条・京極・近衛など)や、別荘のある場所(山科・醍醐)、墓所のある寺の名(西園寺・徳大寺)を苗字にするようになりますが、これらはもともとが地名的なものですから、「九条左大臣」的な呼び方が生まれるのは自然です。ただ、苗字+官職の後に名前をくっつけて、九条左大臣何某といった表記がされていたかどうかは、よくわかりません。貴族の場合は、なんとなくそういう呼び方はなかったような気がしますが。
一方、武士の時代になってからの表記はどうかと思って、家にある史料でかるく調べてみました。祖父からもらった「古文書時代鑑」という本からです。出てくる史料は、わりと正式なものからくだけたものまでバラバラなので、統一がとれていないですけど、だいたいこんな感じということで。
-
まずは正式に書いている例。つまり、官職・位階・姓・尸・名を全部書いている例です。
- 従二位行権中納言兼皇太后宮権大夫平朝臣清盛(平清盛)
- 正二位行権大納言藤原朝臣宣房(万里小路宣房)
- 正五位下行左兵衛佐源朝臣直冬【花押】(足利直冬)
- 征夷大将軍准三后従一位源朝臣義政(足利義政)
- 従三位行左兵衛督源朝臣持氏【花押】(足利持氏)
- 武蔵守平泰時 相模守平時房(北条泰時・時房)
- 権中納言藤原【花押】(万里小路藤房)
- 中宮亮藤原隆資(四条隆資)
- 権大納言源朝臣尊氏【花押】(足利尊氏)
- 左兵衛督源朝臣直義【花押】(足利直義)
- 参議左近衛権中将源朝臣義澄(足利義澄)
- 太宰大弐清盛(平清盛)
- 権大納言定房(吉田定房)
- 左近将監時頼(北条時頼)
- 按察使親房(北畠親房)
- 陸奥守顕家(北畠顕家)
- 左中将【花押】(千草忠顕)
- 左衛門尉正成【花押】(楠木正成)
- 武蔵守師直【花押】(高師直)
- 右大将義満【花押】(足利義満)
- 越後守景勝【花押】(上杉景勝)
- 備中守泰能【花押】(朝比奈泰能)
- 式部少輔<改行>経家【花押】(吉川経家)
- 掃部助<改行>直孝【花押】(井伊直孝)
- 清三位<改行>宣賢【花押】(清原宣賢)
- 大外記<改行>業賢【花押】(清原業賢)
- 安房<改行>昌幸【花押】(真田昌幸)
- 保肥前守(保科正之)
- 川越侍従(柳沢吉保)
- 松平越中守(松平定信)
- 大石内蔵介(大石良雄)
- 酒井雅樂頭【花押】(酒井忠清)
- 藤いつみ【花押】(藤堂高虎)
- 羽柴忠三郎<改行>氏郷【花押】(蒲生氏郷)
- 羽柴少将<改行>忠恒【花押】(島津忠恒)
- 島津修理大夫入道<改行>龍伯【花押】(島津義久)
- 長束大蔵大輔<改行>正家【花押】(長束正家)
- 増田右衛門尉<改行>長盛【花押】(増田長盛)
- 石田治部少輔<改行>三成【花押】(石田三成)
- 浅野弾正少弼<改行>長吉【花押】(浅野長政)
- 民部卿法印<改行>玄以【花押】(前田玄以)
- 真左衛門佐<改行>信繁【花押】(真田幸村)
- 井伊掃部頭<改行>直弼【花押】
- 枩(松)薩摩守<改行>斉彬【花押】
- 堀田筑前守<改行>正俊【花押】(堀田正俊)
- 長宮<改行>元親【花押】(長宗我部元親)
- 長束大蔵<改行>正家【花押血判】(長束正家)
- 増田右衛門尉<改行>長盛【花押血判】(増田長盛)
- 徳善院<改行>玄以【花押血判】(前田玄以)
- 紀伊大納言<改行>頼宣【花押】(徳川頼宣)
- 本田佐渡<改行>正信(本多正信)
- 土井大炊助<改行>利勝(土井利勝)
- 小堀遠江守<改行>政一(小堀政一)
- 正二位右大臣豊臣朝臣秀頼公(豊臣秀頼)
- 片桐東市正豊臣且元(片桐且元)
- 上杉藤原輝虎【花押】(上杉謙信)
いわゆる平家納経を厳島神社に奉納した際の清盛自筆願文での署名です。願文なので正式な位署の法にのっとって書いてますね。
以上、正式な書き方をしている例。
次に、官職に姓名、または姓尸名を書いている例です。 言い換えると、位階、もしくは位階と尸がない例ですね。
北条さんですが苗字は書かず、平泰時、平時房と書いています。位階とカバネを書いていない点で略式の書き方ですが、姓(本姓)を書いているのでわりあいちゃんとしているほうです。
以下は、さらに略式になって、官職+名だけの例です。平安時代のものだと「名+官職」でも「官職+名」でもよい事例がありましたが、時代が下ると「名+官職」は使われなくなるようです。和文で書いていないからかもしれませんが。和文の場合は、「清盛の太宰の大弐」とか、適宜「の」を入れて読むことで、並び順はわりあい自由になると思います。さすがに名と姓を逆にするとかは難しいかもしれませんが。
官職を書き、改行してから名前を書く場合はこのような感じに書きます。
宣賢の方は「清三位」と書いていますが、たぶん散位(位階だけあって官職についていない状態)だったのでしょう。清原氏なので「清」と付けていますが、これは「源大納言」とかと同じもので、姓(苗字)+官職というカテゴリーには入らないと思います。
もうひとつ、官職<改行>名の例です。昌幸は安房守でしたので、安房というのは官職です。改行してから昌幸と書いているのですが、幸の字の上に花押を重ねて書いているので名前は読めません。(見づらいから消したんですが、名の上には日付が書いてあります。)
以上、官職+名の例でした。
この本で見る限り、自署で「苗字+官職」を使っている例は、織豊政権まで見られないようでした。宛先や文中でしたら、もう少し昔からあるようです。
「小山田出羽守殿」「山名弾正殿」「上野七郎兵衛尉殿」「小笠原弾正少弼殿」「小笠原左衛門佐殿」「石川佐渡守」など。もちろん、「小山田出羽守信有」というように、こうした呼び名の後ろに名が書かれることはありません。
苗字+官職という書き方は、名+官職の代わりと考えることができるかもしれません。昔ながらの「○○の大納言」という言い方の場合、○○には、地名(屋号)、他の官職、姓の一字、名など、なにが入ってもよかったのですが、時代が下ってくると、○○に苗字が入る例が多くなるということなのだと思います。
保科の保を官職につけています。
苗字ではなく、領国を官職につけている例。加賀大納言、会津中納言、水戸黄門の類ですね。
あたまについている「藤」は、「藤原」の藤ではなく「藤堂」の藤でしょう。藤堂氏は近江犬上郡藤堂村発祥だから「藤堂」という苗字なわけですが、本姓は、初めは中原氏を名乗ってたようですが、途中から藤原氏にかわったようです。
高虎は和泉守だったので、「いつみ」というのは官職です。
さて次に、自署で苗字+官職に名を添えていると思われる例です。
蒲生氏郷の自筆書状です。右下がサインで「羽柴忠三郎」と書いてあります。で、改行して、上の方には日付「十一月十五日」とあり、下の方に花押が書いてあります。解説を見ると、「氏郷(花押)」とあって、名前+花押であるかのようですが、これって花押だけじゃないですかね?わたしには読めないのでなんともいえませんが、どうも氏郷とは書いてないようなんですけど、どうでしょう?
ただ、このように苗字+官職(この場合は通称)を書いてから改行し、少し下げて名前を書いて花押というパターンはよくあります。これでも文字だけ続けて書くと「羽柴忠三郎氏郷」となるわけです。というわけで、この改行はちょっと曲者だと思います。
左上のあて先は「伊達左京大夫殿 御宿所」です。政宗のことですね。いわゆる一揆を扇動した云々の話の直前に、氏郷が政宗に「一緒にがんばろうね」といって出した書状だそうです。
島津義久と忠恒の連署の起請文です。関ケ原後に赦免を願うために徳川家に提出したものだそうです。起請文なので、いわゆる熊野牛王の誓紙(くまのごおうのせいし)というのに書かれていて読みにくいです。
署名は、「羽柴少将」改行して「忠恒(花押)」(忠恒の名の上に日付が書いてあります。)、義久の署名は、「嶋津修理大夫入道」改行して「龍伯(花押)」です。
これも蒲生氏郷の場合と同じく、改行して名と花押を書いています。
おそらく、本来的には「忠恒」とだけ署名すればよいわけなのですが、それだと誰だかわからないので、「羽柴少将」と書き添えていると言ったイメージなんじゃないかと思います。(実際、名前と花押だけの署名というのはたくさんあります。)
こちらは、五奉行の連署です。右から、「長束大蔵大輔」改行して「正家・花押」(名前の上に日付・六月三日)、「増田右衛門尉」改行「長盛・花押」、「石田治部少輔」改行「三成・花押」、「浅野弾正少弼」改行「長吉・花押」、「民部卿法印」改行「玄以・花押」となっています。
「眞左衛門佐」というのは「江都督」的な書き方ですけど、真田は苗字です。本姓は滋野氏とか源氏とかいわれています。幸隆が海野氏の出だというので滋野氏だろうと思いますが、幸村たちの通称が源次郎とか源三郎とかなので、あるいは源氏ということにもなっていたのかもしれません。それはともかく、近世には、苗字の一字を官職の上につけるという書き方をすることはよくあります。(消してある部分には日付が書いてあります。)
「井伊掃部頭」と「直弼」のバランスがおかしいですね。このような書き方を見ると、現代の場合でいえば、「井伊掃部頭」の部分が署名で、「直弼」と花押は捺印にあたるのかなという気もします。
少なくとも、「井伊掃部頭直弼」と署名しているとはいえないように思います。むしろ、「井伊掃部頭」と、「日付・直弼・花押」という二行書きなのか?と思わないでもないです。
こちらも井伊直弼と同様、「枩薩摩守」と「斉彬」のバランスがおかしいです。ちなみに、枩は松を縦に重ねて書いただけで、松平(苗字)のことです。幸村が「眞左衛門佐」と書いていたのと同様、苗字の一字を官職に付けるという書き方ですね。
以下、画像はなしですが、苗字+官職を書いて、改行して名(+花押)の例です。
「長宮」というのは、長宗我部宮内少輔の略です。
以上、苗字(地名)+官職、改行して名・花押の例でした。
これらの例では、官職と名の間に改行があって、署名している人が、苗字+官職+名という並びの名乗りを書いているという意識があったわけではないような気がします。
つまり、署名としてはまず「増田右衛門尉」と書き、改行して日付を書いてから、サイン的なものとして「長盛」+花押を書いていたのじゃないかと思います。というわけで、これらの例は、一見すると「増田右衛門尉長盛」と署名しているかのようですけど、実際は「増田右衛門尉」と「長盛・花押」という二つの署名の組み合わせなんじゃないかと思います。
さて、それでは「島課長耕作」式の表記(改行なし)は存在しなかったのかというと、「古文書時代鑑」の中では、微妙なのが一例ありました。
有名な方広寺鐘銘事件の鐘銘の草案です。書いた人は臨済宗の僧文英清韓です。草稿ですから、「右丞相」を「右大臣」に直してあったりします。
大檀那秀頼と奉行且元の名前が並んで書かれていますが、秀頼の方は割合普通の表記です。もっとも、右大臣で正二位は官位相当ですから、「右大臣正二位豊臣朝臣秀頼」が正しいと思いますが。
対して且元の方は、「片桐東市正豊臣且元」と書かれています。彼は天正十四年に豊臣姓をもらったそうなので、豊臣且元なのはいいんですけど、それとは別に官職の前に苗字を付けています。「片桐東市正且元」という表記じゃなかったのは残念ですが、この場合の「片桐」は地名に準ずるものとして扱われているようです。
とはいえ、秀頼は位階を記しているのに且元は書いてないのかとか、なんで且元には朝臣が付いてないのかとか、謎ですね。
また、片桐の場合はこのような表記をしていますが、例えば、「足利左兵衛督源持氏」のような表記は見たことがないので、よく使う書き方なのかどうかはわかりません。
一般に、正式な文書では「源」を使って「足利」は使わず、逆にやわらかい文書だったら「足利」を使って「源」は使わずという感じじゃないかと思います。苗字と姓を両方書く意義ってあるんでしょうか。
と思っていたところ、苗字と姓を重ねている例が一つありました。
謙信公ですけど、上杉藤原輝虎って、なんかおかしい感じがしますね。攻殻機動隊SACに、「ワタナベ・タナカ」とか「サトウ・スズキ」とかいう日系アメリカ人のCIA職員が出てきましたけど、そんな感じがします。
この場合読み方は、「うえすぎのふじわらてるとら」とかなんでしょうかね。
で、上杉藤原輝虎という表記がありならば、これに官職を入れて、「上杉弾正少弼藤原輝虎」という表記はありえますね。
さて、以上、「古文書時代鑑」をざっとみてみましたが、この本の中には「島課長耕作」式の表記の根拠になるような例はみあたりませんでした。
島課長藤原耕作
だったらありかな?という感じですね。島氏は一応藤原氏ということになっていますから、島(苗字)+課長(役職)+藤原(姓)+耕作(名)ということですね。
あるいは、
島課長
耕作㊞
とか、改行すればよいと思います。
☆改行してるものはくっつけて読まないと思う☆
ところで、上で見た例で、改行しているものを文字だけ続けて読むと、「増田右衛門尉長盛(花押)」というように、「島課長耕作」式の表記のように見えなくもないですが、わたしはこれは続けて読んではいけないと思うと書きましたが、その理由をもう少し詳しく書きます。
こういった署名において改行するしないはたぶん重要なことで、例えば、口宣案(くぜんあん)などでよくあるように、官職+姓+名を一行に収めるために、わざわざ特殊な書き方(分かち書き)をすることからもわかります。
上田藩主松平忠礼の口宣案です。一番左の行ですが、「蔵人頭右中辨藤原豊房」(清閑寺豊房のこと)とあります。これなどはおとなしい方で、藤原の藤の間に原が書いてあるくらいですが。書き始めの位置が決まっていて、改行してはいけない決まりになっていたので、兼任が多いなど、書くことが多いときは詰めて書くのです。
もうちょっと詰めて書くとこんな感じ。
これは古本屋さんで売ってるものみたいです。(売れたみたいでリンク切れになってました。2018.7.2)サイトを見ると「宣旨」と書いてありますが、口宣案ですね。右上に「上卿誰それ」と書いてありますが、「上卿銘」といって、これがあるのは口宣案です。蔵人が天皇の命を上卿に伝達するメモという体裁をとっている書類です。
これを書いた人は「蔵人左少辨藤原業光」でしょうか。元サイトには「藤原葉光」と書いてありますが、「葉」じゃなくて「業」だと思います。辨官補任によると、慶長十四年右少辨柳原業光(茂光)という人がいるので、この人のことでしょう。
閑話休題、要するにこのような書き方は、デザイン的な問題もあるでしょうけど、基本的には、官職+姓+名を改行せずに書くために編み出されたもので、逆に言えば、このような書き方をしてまでも改行をしてはいけなかったということです。
で、先にあげた苗字+官職<改行>名+花押という書式ですが、わざわざ改行しているということは、少なくとも、「苗字+官職+名」を一続きのものとして読ませたいという意図はないと見るべきじゃないかと思います。
というわけで、今まで見てきたものからは、「苗字+官職+名」という表記の根拠は得られなかったわけですけど、じゃあそういう書き方がなかったのかというと、そんなことはなくて、平家物語や吾妻鏡からちらほら見られます。というわけで、最終回に続きます。