こんにちは。昨日今日と、ちょっと興奮してしまって、攻撃的になりすぎました。あんまり興奮してるのは、不愉快に思われる方もおられるでしょうから、少しトーンダウンするように心がけたいと思います。

実際のところ、細田監督がどういう妄想を持っててもかまわないと思うし、そういう妄想世界のアニメを作ったってぜんぜんかまわないと思うんですよ。ただ、「ファミリーで楽しめる」みたいな売り方をしたのがよくないんですよね。

それは、よく言われるように、「セックスシーンが入ってるから」とかじゃなくて、「おおかみこども」には、まともな大人のロールモデルがぜんぜん出てこないからなんですね。(主体性を持った人間としての「お母さん」じゃなくて、子ども(マザコン夫)からみた脇役としての「お母さん」しか描かれていないってこと。)
で、それっていうのは、作者に教育的意図っていうか、「子どもたちに伝えたいこと」っていうのがないからなんだろうなと思います。

大人に対して、自分の妄想世界を見せて、「どう思う?(こうゆうのって良くね?)」って問うのは、ぜんぜんかまわないと思うんですよ。
大人だったら、わたしもそうですけど、いろいろネットで感想とか見てみればわかるように、嫌いだと思った人は、「自分はこれ嫌いだ」ってちゃんと思えるし、もっと具体的に「○○な点がおかしいと思う」って思ったりもできるし、それじゃ、○○な点がどうなったら「嫌い」じゃなくなるのかな?とか、これがこうだとどうしてわたしはキモチワルイって思うんだろう?とか、自分で考えることが出来るじゃないですか。で、そういうことを考えることによって、それまであんまり自覚してなかった「自分の世界」について、自覚的にわかったりすることがあったりするわけですよね。

ですが、ふつうの大人が、「これは好き」とか、「これはおかしいと思う」とか思えるのは、物語が提示する世界(構造)を、自分が実際に生きている世界(自分の世界)と比較して判断することが出来るからなんですよ。

それに対して、年齢にもよるでしょうけど、子どもっていうのは、一般に、まだちゃんとした「自分の世界」っていうのを持ってなくて、パラディグマティックな構造を、物語を見ることによって学んでいってる途中なんですよ。

だから、一般常識的にいって、「ちょっとゆがんでる」っぽい構造(サブカル的、カウンターカルチャー的構造)を持ってる作品を、子どもに見せるのはいけないことなんですね。逆に、大人だったら、そういう「ゆがみ」みたいなのを楽しむってこともできるし(たとえば、フィルムノワールとか、ピカレスクロマンとかさ。あと、家畜人ヤプーとかさ。そういうのだって楽しむことができるじゃん。でも、子どもに見せたらいかんでしょ?)、それに、あんまりパラディグマティックな構造については、例えば勧善懲悪とかそういうやつですが、単純すぎてつまんないって思うわけですよね。もう知ってるしって。アンパンマンとかさ。だから、ちょっとテレビ局の人とかもさ、すこしは教育的配慮しろよって話ですよね。

さて、今日は、おおかみおとこの死から、ある程度ストーリーに添って解釈していきたいと思います。
なるべく興奮しないように、さらっといきましょう。話に添っていくので、ちょっと長くなっちゃいますが、気軽にいきましょう。

●おおかみおとこの死
最初に雪が生まれて、次の年の春に雨が生まれて、雨が生まれた直後に、買い物に行ってたと思われるおおかみおとこが、なぜか買い物袋と財布を玄関前に置いていなくなります。で、花が変に思って探しに行ったら、川でおおかみおとこが死んでて、ゴミ回収車に詰め込まれて持ってかれてしまいました。
このとき、さすがに花はゴミ回収車に駆け寄って泣いてました。よかったね、おおかみおとこ。

というのも、以前、おおかみおとこがカミングアウトする前に、こんな会話をしてたことがあったんですよ。
花の名前の由来をおおかみおとこが聞いて、お父さんが、花のように笑顔を絶やさない子に育つように「花」と名づけたという話をして、

「辛いときとか苦しいときに、とりあえずでも、無理やりにでも笑っていろって。そしたら、たいてい乗り越えられるからって。・・・だからね。父さんのお葬式のとき、ずっと笑っていたの。・・・そしたら、親戚の人に、不謹慎だって、すごく怒られてしまって。・・・・ でも、やっぱり不謹慎だったかな?」
「・・・不謹慎じゃない。」
「うふふ。よかった。」

っていうような会話をしてたんですよ。
花がいっつも笑ってる設定が明らかになる部分ですけど、だいたいこの2人の会話はこういうテンポで、これがまあキモチワルイんですけど、要するに、会話になってないんですね。(独白→承認。独白→承認。っていう形で、話がすすんでいかない。ましてや、弁証法的になんかなるわけがない。というわけで、話すことによって創造的なことがなにも起こらない。)

どういうことかというと、たぶんおおかみおとこの性格のせいだと思うんですけど、会話として続かないんですね。まあ、花の「不謹慎かな?」っていう質問も、あまりほめられたもんじゃないですけど、一般的に言って、葬式のときに笑ってたらおかしいに決まってるじゃないですか。さすがに喪主だったわけじゃないとは思いますが、故人の唯一の家族である娘がずっと笑ってたら(しかも泣き笑いみたいな複雑な演技ができるとも思えないし)、不謹慎っていうか、ちょっとちょっと、あの子大丈夫?ってなると思うんですよね。
なのに、「不謹慎じゃない」とか答えちゃったら、それで会話が終わっちゃうじゃないですか。
安易に同意しないで欲しいところでしたね。
「うふふ。よかった」って、花はほんとによかったと思ってんですかね?ちょっとそのへんはよくわかりません。

それはともかく、お父さんのお葬式で笑ってた花だし、おおかみおとこもそれを「不謹慎じゃない」って言ってたわけだから、おおかみおとこが死んだときも、ちょっと戸川純風に笑いだすんじゃないかとひやひやしましたけど、わりと普通に泣き崩れたりして、けっこうベタな演技でした。で、ここで花が号泣したってことは、外部からの「萌え設定」からはずれる行為なので、花の自発性の発露かな?とも思いますが、さすがに意味がわからない急死だったので、心構えができてなかったってだけかもしれませんね。
深読みすれば、花の「おとうさん」よりも「おおかみおとこ」を愛してたんだぜっていう、おおかみおとこの自慢なのか?ともおもいますが、まあ、それはどうだかわかりません。

さて、おおかみおとこが死んだことにより、花は2人のおおかみこどもと3人になるんですが、おおかみおとこの免許書を見てたら、「子供達をよろしくたのむよ」と言われたような気がしたそうです。で、それに対して、
「うん。まかせて。・・・ちゃんと育てる」と言って、ちょっと涙をあふれさせてから、いつもの花ちゃんスマイルが復活します。

おおかみおとこは、死んでしまって、「子供達をよろしくたのむ」と言うわけですが、これによって花ちゃんは、「おおかみおとこ・花・雪・雨」の四人の世界で生きていかないといけない宿命を負わされてしまいます。
花ちゃんは、「うん、まかせて」と気安く引き受けてしまったんですが、もうちょっとよく考えるべきだったと思います。

どういうことかというと、四人のうち三人はおおかみで、人間は花ちゃんだけで、花ちゃん以外の三人が持ってる「おおかみ性」については、花ちゃんはほとんどなにも知らず、ただ、おおかみおとこが、「とにかく秘密にしなきゃいけないこと」と言ってたのを鵜呑みにしているだけなんですね。で、これからこどもを育てるにあたって、おおかみおとこが生きていたら、おおかみの先輩なんだから、ふたりのこどものことは全面的に任せてしまえばいいと思ってたかもしれませんが、突然死んでしまって、「とにかく隠さなきゃ」っていう強迫観念だけをよりどころにして、2人のこどもを育てなきゃいけない状況に追い込まれてしまったわけです。

問題なのは、「おおかみ性」について、おおかみおとこが、まったくなにも語ってないという点です。たぶん、自分がおおかみであるということについて、主体的な問題として取り組んで来なかったんでしょう(哲学の授業にもぐりこむぐらいだったら、それくらい自分で考えとけってんだバカ)。つまり、「本当の自分」から目をそむけ、ただ花から無条件に認めてもらうことによって、「本当の自分」の存在肯定を得ようとしていただけだったんだとおもいます。あまったれですね。

で、もちろんそれだけでも十分卑怯なことなんですが、さらに卑怯なのは、自分で問題を主題化しないまま、勝手に死にやがったという点ですね。つまり、おおかみおとこは、秘密を共有させることによって、花を他の世界から隔離し、さらには花に、「秘密として守られなければならない、おおかみおとこの小さな世界」を守る責任を負わせて、自分はどっかへ行っちゃったわけです。なんて男でしょう。

おおかみ性を自分で問題にせず、ただ花にだけ秘密として打ち明けた上で、「こどもたちを頼むよ」というのは、そういうヒドイことなんです。単に子育てを頼んだって話じゃないんですよ。つまり、おおかみおとこは、自分が死ぬことによって、花を、自分の世界(秘密)をその他の世界から守ってくれる人、自分の存在の根本を、ずっと庇護しつづけてくれる人として、束縛することに成功したというわけです。
やることが姑息ですよね~。(細田監督が言ってたように、子どもがおおかみだって言いたいだけだったら、おおかみおとこはいらないんですよ。おおかみこどもだけでいいはずです。イグアナの娘みたいに。で、おおかみおとこと関係ない問題になれば、おおかみおとこが死んだ後に、花は自力で自分の責任で問題に取り組むことが出来るじゃないですか。で、当然、新しい人間関係を作って、新しく頼りに出来る人とか、相談したり出来る人とかが現れる可能性があるわけじゃないですか。それが、おおかみおとこ→おおかみこどもっていう流れになってるのは、やっぱり花がおおかみこどもの母としてより、おおかみおとこの理解者・庇護者にさせられてるってことだと思うんですよね。で、こどもを育ててる間は、同時に、おおかみおとこの妻のままだというわけですね。というわけで、しつこいですが、おおかみおとこは、死んでも花ちゃんを束縛しようとする卑怯者だと思います。)

●花の子育て
さて、以上のように、花の子育ては、おおかみおとこから教わった唯一のやり方、つまり、「隠すこと」を基本にして進められます。というわけで、どんどん孤立を深めていくのは当たり前ですね。もう、おおかみおとこの呪いと言ってもいいと思います。

で、都会にいるうちは、いろいろな人が指摘してるように、ほぼネグレクトに近いことをやっちゃうわけで(雪はけっこうしゃべれるようになっても、たぶん花以外の大人とまともに会ったことがなかった)、ほとんど「子育て」と呼べるようなことをやっていません。で、さすがにまずいと思って、田舎に引っ越すことにするんですが、それは、「おおかみとにんげんと、どちらでも選べるように」という理由からでした。

で、わたしからすると、なんで二者択一なの?って思いますが、まあ、花にはどっちかを選択しなければならない問題だと思えたんでしょうね。これはたぶん、おおかみおとこの呪いの一種で、要するに、「おれを取るか、人間と暮らすか、どっちか選べ」っておおかみおとこに言われてる気になったんでしょうね。
あいかわらず、おおかみおとこはヒドイやつです。花ちゃんかわいそう。とはいえ、そもそも花がメンクイだったのがいけないので、自業自得といえば、いえなくもありません。女のメンクイは、ハズレを引く確率が非常に高い(8割はハズレだと思う)ので、ホント、みなさん注意しましょう。

さて、そんなわけで、田舎暮らしの始まりです。
ここから花は、いろいろ批判されているように、無敵のスーパー母ぶりを示すわけですが、それについてはわたしは別に文句はありません。リアリティがないといわれてますが、それより重要なのは、花ちゃんおよび子どもが、どれだけ楽しそうにしていたか?という点だと思います。

つまり、今までは、一緒に遊ぶとか、話をするとか、本を読んであげるとか、その他いろいろ、楽しく一緒になんかするっていうことが、まったくなかったんですね。これは、かなり追い詰められていたから仕方ないことだと思うんですが、「隠さなきゃ」っていう強迫観念がそのままなのは仕方ないにせよ、せっかくある程度人目を気にしなくてもいい環境にきたのだから、ようやく自分でちゃんと「おおかみこども」と向き合って、「子育て」してくれるんだろうなと思って期待したわけですよ。

で、よかったなと思った点。
一緒に自転車に乗って坂を下った。一緒に植え付けをした。一緒にジャガイモを収穫した。(ジャガイモ実りすぎw)

最初のうちは、これくらいですね。あんまり多くありません。
ま、今まではぜんぜんなかったので、ちょっとは楽しそうな場面があってよかったです。

田舎に来て、ある程度雪と雨が他の人の目に触れる機会が多くなってきたので、花は絵本を書いて雪と雨に見せます。
「雪と雨がおおかみこどもだってことは、わたしたちだけの秘密。もし急におおかみになったら、みんなとってもびっくりする。他の人の前でおおかみになっちゃだめ。ね、約束。」
「それともう一つ、もし山で動物にあったら、えらそうにしちゃだめ。」「なんで?」「きっとお父さんが悲しむから。」
ということなんですが、ひとつ目の「人間に対して秘密にすること」っていうのは、おおかみおとこの遺言ですからわかります。2つ目の動物に対してえらそうにしちゃだめっていうのは、なんですかね?よくわかりませんが、結局、おおかみだってことは人にも動物にも示しちゃダメってことなんでしょうか?
「お父さんが悲しむから」っていうんですが、これは、おおかみおとこの望みが、おおかみ性を隠すことだったってことでいいのかな。まあ、そうなんだけどね。子どもが将来人間になるものとばかり思ってたし、家が欲しいとかほざいてたし、要するに自分は人間なんだってことなんでしょうが、結局、自分は人間なんだけど、秘密として「おおかみ性」を隠してて、これは秘密だから花ちゃん以外の人に知られちゃダメっていう話ですかね。(とはいえおおかみおとこ本人は、安易におおかみになって意味不明な突然死をしちゃうわけで、隠さなきゃいけないとかいっててなんなんだよと思います。)

で、具体的に、動物に対してえらそうにしないっていう約束は、雪が他の動物を追い掛け回して遊ぶのを禁止するためだけに使われます(他の場面ではでてきません。もちろん、後に雨が山の主になるときにも)。ということは、これはどうも雪に対してだけ、おおかみになってはいけない、なったらお父さんが悲しむといっているようでもあります。

で、その後、雨が絵本でおおかみが悪者になってることを知り、「おおかみってどうしていつも悪者なの?」と聞きます。
「悪者って、絵本?」
「みんなには嫌われて、最後には殺される。だったら僕、おおかみはいやだ。」
「そうね、でも、お母さんはおおかみが好きよ。みんながおおかみを嫌っても、お母さんだけはおおかみの味方だから。」
この会話は重要で、要するに、花はおおかみを愛するってことですね。で、それはいいんですけど、よくないのは、「みんながおおかみを嫌っても、お母さんだけはおおかみの味方だから」ってとこですね。つまり、ステロタイプな「おおかみ」性(要するにヒール)ゆえに、世間の人はみんなおおかみを嫌う(はずだ)、だけど、おかあさんだけは、おおかみの味方だ。というわけです。既にお分かりのように、こうしたおおかみ観は、おおかみおとこのもので、また、「花だけは特別」というのもおおかみおとこ的な考えでしたね。というわけで、雨はおおかみおとこのおおかみ観と花の特異性をそのまま受け継いでしまいます。よって、先ほどの論理は、雨の中では、「おおかみであれば人間に嫌われる」、「おおかみであればお母さんに愛される」っていう二つの命題になってしまうようです。
ところで、いわずもがなのことですが、おおかみおとこは、わざわざ脈絡もなくおおかみとして死んだから、花ちゃんに、「お母さんだけはあなたの味方よ」って言ってもらえる権利を持ってるって話ですね。(さらに、人間に嫌われてた証拠として、ゴミ収集車に入れられちゃったのかもしれませんね。というわけで、だんだん3人家族の中に、おおかみおとこが復活してくる気配です。しかし、このへんもあざとい演出だなあ。)

さて、田舎に行って、雪は外を駆け回ることが多く、雨は花ちゃんにべったりなんですが、そのせいもあって、雪に対する花ちゃんの態度は、あんまりよくありません。ま、しょうがないところではありますが、それにしてもネガティブフィードバックが多いです。
雪が何かする。→やめなさいと言う。
雪が保育園行きたいと言う。→ダメと言う。
って感じですね。

あ、ネガティブフィードバックっていうのは、要するに、AからBに情報が行った際、BからAに対して、「これ以上信号を送らないように」という信号を送ることですね。(ある温度になったらエアコンが止まるとかですね。)
それに対してポジティブフィードバックは、「もっと信号を送るように」という信号を送ることです。(ターボエンジンとかですね。)
花とおおかみおとこの会話は、基本的にネガティブフィードバックでした。つまり、会話が続かない。

雪が蛇を捕らえたり、ねずみを捕らえたりしたときとかでも、なんかもっと関わり方があると思うんですが、花は基本的に雪になにも言いません。やっぱりあんまり愛してないのかなと思ってしまいますね。

「すごいね、どうやってつかまえたの?」とか、「つかまえるの、上手になったね」とかいえば、雪ももっといろいろしゃべると思うし、雪がそういう風にしゃべったら、またそれに対していろいろ言えるじゃないですか。で、そうやって話をしなかったら、雪がなににどんな風に興味をもってるのかとか、なにを考えてるのかとかだってわかんないじゃないですか。また、雨に対しても、雨がなんか言う→大丈夫。っていうのが基本で、これもやっぱりネガティブフィードバックなんですよね。雨が実際のところなににおびえているのかとか、なにをどんな風に不安に思ってるのかとかを聞いてやらずに、「大丈夫」って言ってストップさせてしまうんですよね。で、雨は、そのパターンがインプットされてしまって、何かあると、「大丈夫して」って自分から結論だけを求めるようになっちゃいます。で、それに対して、「大丈夫大丈夫」っていって頭をなでてやるんですが、ストレスに対して、お母さんにくっつくと安心っていうだけの解決法ってのは、かなりよくないですね。でもまあ、花ちゃんって、もともと友達が一人もいない人だったみたいだし、会話が下手なのもしょうがないところなのかもしれません。で、だったらなおさら、近所のおばさんとかともっと話をさせるようにしたりしないとなと思いました。
とにかく全般に、もっと会話しろよと、そこがすごい気になりました。

さて、それでも、都会にいた時よりは、雪ものびのびしてていい感じになりました。雨のダメっぷりはまああれなんですが、それについてはもうちょっと後で。で、農業もまあまあうまくいくようになって、最初の冬を迎えます。

最初に雪が降った日、三人で雪の上を駆け回ります。
一緒に駆け回るとかは、もちろん、ポジティブフィードバックです。
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この場面は、楽しそうでほんとよかったです。(そういえば、おおかみおとこは暗いやつで、こういう楽しいところがぜんぜんないやつでしたね。)犬というのは、一緒に遊ぶ際に、おっかけっこをするのがいちばん好きなんですよね。人が走って、犬が走って、急に方向を変えたりするとすごい喜びます。で、雪も雨も犬形態になって走って、花も一緒に走って、最後に雪の中で三人で遠吠えするんですが、そのときは花もおおかみみたいになって、やっと花がおおかみ性を自分の問題にすることができるようになるのかな?と思って、わたしはすごいうれしかったんですが、その後、ひどいことが起こりました。あんまりひどいことなので、明日にします。

今日のはあんまりまとまってないですが、長くなったのでここまでにします。
全体の結論はもう出来たので、あと3回くらいでおわるかな?と思ってます。
ま、ちょっとしたレポートのネタくらいにはなりそうな感じで、まあまあおもしろい話になるんじゃないかなと期待してんですけど。んじゃまたあした。

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