カテゴリー: くまぶしの思想

死刑制度は廃止にした方が良いと思う理由

わたしが死刑制度を廃止した方が良いと思う理由は単純なもので、要するに、国家に対して個人を殺す権限を与えるべきではないと考えているからです。(現状の死刑制度は、国家に対して、条件付きで誰かを殺す権限を与えているものです。)
国家に対して個人を殺す権限を与えないというのは、言い換えると、主権者であるわれわれは、われわれ自身の力を、誰かを殺すためには使わないと決意するということです。(もちろん、正当防衛的・緊急避難的に犯人を射殺するというような場合は除きます。)

ひとことで言うと以上ですが、それだけだとちょっとそっけないので、もう少し詳しく説明してみようと思います。というのも、わたしとしては、非常にシンプルな話なので、少なくとも死刑制度反対の方は、皆さん同じように考えているものと思っていたのですが、ちょっとネットで調べてみたところ、あまりそういう議論をされている方がいなかったので、いささか不思議に思っているのですが、とにかくネット上ではあまり述べられていないタイプの意見であるようなので、少々詳しく述べておかなければならないように感じた次第です。Wikipediaの死刑制度反対の論拠でいえば、「社会契約説」と「人権」における反対論ということになりますが、内容を読むと、どうもちょっとニュアンスが違うんですよね。

ちょっと真面目に考えたので、である調で書いてみようと思います。 (さらに…)

「世界の中心で愛を叫んだけもの」の解釈(永遠回帰的解釈)

こんにちは。ハーラン・エリスンが亡くなったそうですね。
TwitterのTLで、早川書房さんから、「悲しいニュースをお伝えします」とか流れてきたんですけど、わたしは別に悲しくはなかったです。もはやいいお年で、新作をそんなに書いているわけでもなし(こないだ短編集の翻訳が二冊出ましたけど古いやつです)、そもそも翻訳がまったく出ていませんがなんか事情があるんでしょうか、日本の原稿料が安いからとかいう話もありますけど、ほんとなんですかね? あ、”Can & Can’tankerous” は2010年あたりの作品を集めたものらしいので、面白いんだったら読んでみたい。というのも、「世界の中心で愛を叫んだけもの」などはたいへん冷戦的な話ですから、エリスンが9.11以降、どんな話を書いたのかという点にはいささか興味があるわけです。(とはいえ、英語で読むほどの気持ちはない。)

というわけで、今週はずっとエリスンについてなんか書こうとしていたんですけど、そしたらこんどは歌麿師匠もお亡くなりになられたそうで、こちらはエリスンとは違っていささか悲しいニュースかもしれません。つまり、歌麿師匠の芸は、彼が現に生きていることと切り離せないわけですけど、小説家の死は、その死がなにか彼の書いたものに関係あるかというと、すでにして書かれてしまった時点で作者と作品はあまり関係なくなっているわけで、つまり作者は書いた時点ですでにある意味死んでいるわけで、といったのはバルトですけど、今更実物のエリスンが死んだからといって、わたしにはあまり関係ないというか。 (さらに…)

新潟県知事のこと

現職の新潟県知事が、出会い系で出会った女性にお金を渡して致していたというのが週刊誌に載って騒ぎになり、結局彼は辞職するそうです。

お金を渡したのが問題なのか、出会い系を使ったのが問題なのか、どうやら本人も、なにが悪いのかいまいちわかっていないようではありますが、わたしにも、なにが悪いのかよくわかりません。 (さらに…)

「島課長耕作」式の表記について(最終回)

官職を持っている(自称している)人の個人名の書き方について、「苗字+官職+名前」という表記、つまり、

「島課長耕作」とか「羽柴筑前守秀吉」とかいう表記って、なんか変じゃないですか?

というシリーズの最終回です。
「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の1
「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の2

前回は、大鏡とか栄花物語での表記と、「古文書時代鑑」という本から鎌倉~江戸時代までの文書での表記についてみてみましたが、「苗字+官職+名前」という表記は一般的ではありませんでした。ただ、「古文書時代鑑」に載っている文書は、歴史上の有名人の筆跡をみるという目的で集められているものなので、名乗りについては、自分で書いたものであるか、手紙などで相手に呼びかける体のものが多く、だいたい予想はしていましたが、やっぱり「島課長耕作」式の表記はありませんでした。

「島課長耕作」式の表記は、軍記物的なジャンルでは、平家物語や吾妻鏡あたりから見られ、太平記あたりになるとたくさん見られるようになるのですが、その元ネタは、武士が使っていた苗字+排行名(「太郎」「次郎」「三郎」など、生まれた順に基づく通称)という表記法にあるんじゃないかと思います。 (さらに…)

「センゴク」シリーズでの変な言葉遣い

こんにちは。前に読んでるといってた漫画の「センゴク」ですけど、ようやく第二部まで読み終わりました。
「苗字+官職+名」については、結論としてもう一回書く予定なんですけど、今回はそれとは別の話で、読んでてちょっと辛かった変な言葉遣いについて書こうと思います。 (さらに…)

君の名は。についての煉獄的解釈

君の名は。について前に書いたのに対して、今頃になってりんちゃんがコメントをくれたんですが、返事コメを書いてるときに、ちょっと思いついたことがあったので書いてみます。(ビデオに録画してたのをもう消してしまったので、細かいところはあいまいです。)
君の名は。について皆さんどんなこと書いてるかって、前の記事を書いたときに、ちょっとは検索して見てみたんですが、あんまり面白いものがなかったので、そんなにたくさんは見ていません。というわけで、もしかしたらもう誰かに言われてる話かもしれないですけど。 (さらに…)

「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の2

つづきです。

軍記物などでよく見かける「羽柴筑前守秀吉」式の表記について、これはよく考えてみると「島課長耕作」みたいなもので、たいへん奇妙な書き方だと思うんですが、どうしてこういう表記をするようになったのかを考えてみようというシリーズの二回目です。

前回は、官職付きの「正しい」表記の仕方をまとめました。「正しい」というのは、公式文書に書く時の決まりにのっとった書き方(位署)のことです。
今回は、もうちょっとくだけた書き方についてみてみようと思います。

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「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。後編の1

こんにちは。オリンピック見てますか。わたしはスノーボード(フリースタイル)だけ見てます。
ソチの時は、ショーン・ホワイトがおばさんみたいになってて笑ったんですが、今回はおじさんになっててびっくりしました。
ハーフパイプの決勝は、1440のコンボの完成度は平野君の方が上だったように見えましたけど、やっぱりスノボは普通の競技ではなくてスタイルが重要ですから、そういう意味ではショーンの方がカッコよかったと思います。
とはいえ、少々卑怯だなと思う点は、スノボにおけるスタイルというのは、「ショーン・ホワイトのように飛ぶこと」を理想形としながら進化してきたものであると言えなくもないわけで、だから、ショーンがいちばんスタイリッシュだったというのは同語反復にすぎないともいえます。
というのはまあ冗談ですけど、スノボにおける「スタイル」には、「自分のやり方は自分で決める」ということが是非とも含まれていなければならず、したがって必然的に、「評価される」ということに対して素直でいてはいけないと思います。その点、国母君はつっぱったところがあってよかったんですけど、平野君はちょっといい子過ぎる感じがして、その辺がなんとなくスタイリッシュじゃないように感じました。(具体的には、なんかきれいに回りすぎて技が小さくみえてしまうような印象を受けました。)

さて、今回は、特に「センゴク」とは関係ない話ですけど、前回いろいろ書いているときに思いついたことを書きます。
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「センゴク」を読んで官職の表記について考えたこと。前編。

最近、「センゴク」という、仙石権兵衛が主役の漫画を読んでて、やたら長いマンガなのでなかなか進まないんですけど、ようやく第二部の6巻まで読みました。仙石権兵衛というと、情けないエピソードしか知らなかったので、どうなるんでしょうと思って読んでいるんですけど、今のところ、なんかバカだけどかわいげがあるみたいなキャラでやっていこうということらしいです。で、話の中身はいいんですが、官職の読み方でいささかおかしいところがいくつかあって、細かい話ですが、少々気になりましたので今日はそのことを書こうと思います。 (さらに…)